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世の中はおもしろい出来事であふれている

ハリーポッターの舞台の配役における差別論争は極めて愚かである

 

 

“差別”というものに対して世界が少々過敏になりすぎているとよく感じる。

 

もちろん、差別はいけない。どんな理由があれ肌の色や人種、バックグラウンドで人が差別されることはあってはならないことである。

 

しかし、差別に対する過敏な反応は逆にその反応自体が差別になる可能性もある。

 

すこし前の話になるが、ハリーポッターシリーズで有名になった作家のJKローリングさんがハリーポッター世界のその後を描いた作品が演劇になるということを発表した。そして、ハリーやハーマイオニーなどのキャストも一新されることになった。

 

ところが、その一新されたキャストを巡って作者とファンの間で事件が起きた。

 

事の発端はハーマイオニー役に選ばれた女性が黒人だったことにある。これに対して、一部のファンはイメージが崩れるなどと批判したのである。

 

すると、JKローリングさんが反論。人種差別だと言って批判したのである。

 

しかしながら、僕は批判したファンの方に人種差別の意識はなかったと考える。

 

JKローリングさんは「小説の中ではハーマイオニーの肌の色に関する記述はないから黒人のハーマイオニーで何が悪い」と主張している。確かに、これは筋が通った主張である。

 

しかし、ここで考えなければいけないのはこの作品が主に誰を対象にしているかということである。それは言わずもがなハリーポッター作品のファンであろう。

 

ハリーポッター作品のファンであればその大半は映画を見ているだろう。そして、映画でのキャラクターのイメージがハリーポッター小説のキャラクターのイメージにもなっているだろう。

 

つまり、ハリーポッターの映画の中ではハーマイオニーは白人なのである。それは1作目から8作目まで変わっていない。ハリーポッター作品を最後まで見たファンであればハーマイオニー=白人だというイメージになるのは当然だろう。だから、ファンの一部はハリーポッター作品の続編にあたる作品でハーマイオニーが急に黒人になったことに違和感を覚えたのである。それは差別云々ではなく純粋に作品を愛する者としての批判であると考える。

 

これを差別だという人は想像してほしい。マンガでも小説でも映画でもドラマでも誰にでも1つは自分の好きな作品があるだろう。その作品のキャラクターの設定が突然変わったら違和感を覚えないだろうか。

 

たとえば、今まで日本人のキャラクターが急に白人や黒人に変わったとして、それに対して「なんで日本人じゃないんだ!」とファンが言えば、そのファンは人種差別主義者になってしまうのか。

 

僕はそうやって言う人ほど差別主義者ではないのだろうかと思ってしまう。

 

また、差別に対する過敏な反応は作品自体をつまらなくなってしまう。今回どういう理由でJKローリングさんがハーマイオニーを黒人にしたのかはわからない。おそらく、JKローリングさんが言うように作品の原点である小説でハーマイオニーの肌の色についての設定はないから黒人のハーマイオニーでもいいという考えからそういう設定にしたのかもしれない。

 

これが新しい作品なら問題ないだろう。しかし、これは既存の作品の続編なのである。急に設定が変われば作品の魅力は減るだろう。

 

JKローリングさんは作品を通して差別撲滅を訴えたかったのかもしれない。しかし、自分の主張を訴える前に作家にとっては最も重要な存在であるファンの存在をもっと大切にしなければならなかったことは明白である。

 

 

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