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日本の大学の文系レベルは海外の大学より低いのか?

 

 

今年も世界大学ランキングが発表され日本の大学では東京大学が34位と一番高かった。

 

resemom.jp

 

 

よく、日本の大学はいろんな面でレベルが低いと言われているが果たして本当なのだろうか?

 

僕は名古屋にある中京大学国際教養学部を卒業したが、在学中は南山大学名古屋大学に授業に潜り込んだりキャンパスを見学したりした。

 

また、高校生の時は埼玉大学青山学院大学獨協大学東洋大学拓殖大学立教大学、法政大学、東京外国語大学早稲田大学慶應義塾大学に行きキャンパスを見学したり授業に潜り込んだりした。

 

さらに、大学在学中に1年フランスの大学に留学し正規の授業も受けた。そして、海外に旅行するたびにその地にある大学を見学した。

 

つまり、僕は今まで国内外問わず様々な大学を見てきた。そして、日本の大学のレベルは本当は低いのか自分なりに分析し一定の結論を出したのでそれを今回は書きたい。

 

今回は、①授業環境 ②授業内容 ③学生 ④施設、設備 ⑤費用 の5つの点から論じる。

 

授業環境

 

日本の大学のレベルが低いと言われる大きな理由は授業である。総じて、日本の大学の授業のレベルは低いと言われる。

 

果たしてそうなのだろうか?

 

確かに、質の低い授業はある。ただ教科書を読むだけの授業や教科書の内容を話すだけの授業もある。しかし、それは海外の大学でも同じである。

 

僕が留学したアンジェ大学はフランスの中では人気があり、それなりにレベルの高い大学であるが、質の低い授業はあった。たとえば、地政学の授業。教授はプリントを配りあとはシンプルなスライドで書いてあることを説明するだけの授業であった。

 

 

日本の大学の教授は授業の準備に多くの時間を海外の大学の教授よりも割いていると思う。プリント1つとってもスライド1つとってもクオリティーの差は明らかである。

 

また、海外の大学では板書はあまりされないで生徒は教授の言ったことをノートをとる形が多い。一見すると、生徒は授業に集中しなければならず、寝たり内職などできないからいいと思うかもしれないが自分がそのタイプの授業を受けてみるとそのスタイルのネガティブな面に気づく。それはノートをとるためだけに授業に出ているという面である。

 

僕は本来、授業とは考える場であると思っている。教授が板書をしてくれれば学生はノートをとりながらもその板書の内容を考えることができる。一方、板書がないと生徒は教授のしゃべったことを聞き逃さないようにするためにノートをとることにだけ集中しなければならない。これを授業と呼べるのだろうか?

 

 

海外の大学の授業はスライド、プリント、板書、課題などから分析すると突き放すタイプである。授業のレベルはできる人に合わせられ、予習や課題をしない人は平気でおいていく。授業についていくためには勉強しなければならない。

 

一方、日本の大学は正反対で、レベルはできない人に合わせられ、予習や課題をしなくても授業についていけるように教授が配慮している。したがって、勉強しなくても授業についていくことができる。

 

このように書くと、やっぱり海外の大学の授業の方がレベル高いじゃんと思うかもしれないがそうは思わない。

 

僕は、日本の大学と海外の大学のそれぞれの長所が合わさった授業が理想的な授業だと思う。要するに、板書やプリント、スライドの質が高く、レベルはできる人に合わせられ、生徒は授業中にノートをとることよりも考えることに重きを置ける授業である。

 

よって、日本の大学の授業も海外の大学の授業もそれぞれにいい点と悪い点がある。

 

 

授業内容

 

先ほども書いたが、大学は考える場でなければならない。そして、この機会が多い大学ほど優れた大学だと思う。

 

ではどんな授業が考える場の授業かというと討論や発言できる回数が多い授業である。

 

残念ながら、日本の大学はこの類の授業は少ないと思う。

 

アンジェ大学で僕はヨーロッパ現代史の授業やイタリア語の討論の授業を受けたが、生徒たちの積極的な発言の多さに圧倒されたが、それ以上に議論の内容の深さに驚いた。

 

教授が提示したテーマについて学生たちは考え、生徒は意見する。そして、その生徒の意見についてさらにほかの生徒が意見する。当たり前のことだが日本の大学ではこういった光景はほとんど見られない。しかし、これこそが学生が大学ですべきことだと思う。

 

 

学生

 

日本の大学生は授業中にしゃべったり、内職したり、寝たりする。だから、日本の大学生はレベルが低いと言われる。

 

それでは、日本の大学生だけがそうなのだろうか?

 

僕はアンジェ大学に留学した時に驚いたのはフランスの大学生の自由奔放ぶりである。授業中には日本の学生以上に大声で雑談し、挙句教授が注意しても止めずに退席させられていた。また、寝てる生徒や内職している生徒も大勢いる。つまり、日本の学生だけというわけではない。

 

日本でも海外でも勉強する学生は勉強せざるを得ないシステムかどうかにかかわらず自発的に勉強している。

 

 

施設、設備

 

 

これは日本の大学の圧勝だと思う。

 

日本の大学の施設や設備は本当に綺麗で快適である。国立大学になるともちろんレベルは落ちるがそれでも海外の大学よりは快適である。

 

冷暖房1つとっても日本の大学のほうがはるかに優れている。アンジェ大学は冬はあまり暖房が効かず、仮に暖房を作動しても音がうるさくまた臭いも臭く授業に集中できなかった。

 

 

費用 

 

これは海外の大学の方が圧勝であるが、費用をとるか設備投資をとるかの違いであると思う。

 

日本の大学の費用(学費やその他諸々)が高い理由の1つは設備投資にある。そして、そのお陰で日本の大学生はきれいな教室で最先端の機材を使って快適な授業を受けることができる。

 

一方、海外の大学は費用は安い分、使える設備の値段も安い。

 

なので、どちらを選択するかの問題だと思う。

 

しかしながら、費用で1つ問題をあげるとしたら日本の大学は宣伝にお金を使いすぎている点である。確かに、大学はビジネスでなおかつ少子化で生徒の数が減っている現状では各大学が生徒をとるために宣伝に莫大なお金を使うことはわからなくもないが、大学側は宣伝の量よりも質で勝負して余った分は生徒に還元すべきである。

 

 

まとめ

 

「大学になにかを求めるのではなくて自分で何をするかが大切だよ」という言葉を在学中に大勢の人に言われた。

 

それに対して、「自分で全部できるなら大学に行く必要はない」と思う。

 

確かに、勉強するのは自分自身だし、大学生にもなれば自分から進んで研究したり目標を見つけるのは当然のことである。

 

僕が言っているのはその先のことである。

 

自分で疑問を見つけ自分で勉強し解決できれば大学に行く必要はない。大学に行くのは自分1人では解決できない問題を教授やほかの学生と考えるためである。解決するのが重要なのではない。考えることが重要なのだ。

 

冒頭にも書いたが、大学は考える場でなければならない。

 

日本の大学ではその機会が本当に少ないと思う。何をもってレベルが高いか低いかを決めるのかで答えは変わってくるが、もし授業の内容で決めるのであれば残念ながら低いと言わざるを得ないだろう。

 

 

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