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フランスが抱える自由と責任のジレンマ ①

 

 

2015年という年はフランスにとって1つのターニングポイントになった年であった。フランス国内でテロが起こったのである。

 

パリの新聞社が襲撃されたテロとパリの複数の場所で同時に銃撃が起こった同時多発テロは日本でも報道されたので知っている日本人も多いだろう。しかし、フランスではそれ以外にも複数のテロが2015年に起こった。

 

パリ同時多発テロ発生後、フランスのオランド大統領は演説で「フランスは戦争状態にある」と宣言した。その後、オランド大統領は戦争の終結を宣言していない。つまり、フランスは現在も戦争状態にあるということである。

 

そんなフランスのターニングポイントになった2015年、僕はフランスに留学していた。留学していた場所はアンジェという田舎町でパリからは遠く離れていたが、テロの恐怖は日々感じていた。

 

2015年1月7日、年が明け、活気づくパリの街をテロの恐怖が襲った。フランスの新聞社、シャルリ―・エブドが襲撃されたのである。死者もでた。フランス全土にこのニュースは流れ、多くのフランス人を恐怖に陥れた。

 

テロの標的となった理由は、この新聞社がイスラム教に対する過激で侮辱的な風刺画をたびたび掲載したからである。

 

テロの影響で数週間、新聞の発行を停止したものの、再び発行を開始した。そして、再開第1号の新聞の一面に彼らはイスラム教の指導者であるムハンマドを侮辱する風刺画を掲載した。以降もシャルリ―・エブドは新聞のコンセプトを変えることなく、過激で侮辱的な風刺画を掲載し続けている。

 

断っておくが、僕はテロには断固反対である。いかなる主張があれ、それを武力で訴えようとすることは文明人のやることではない。テロで犠牲になった方々にも最大の敬意と哀悼の意を表する。

 

その前提に基づき批判を恐れずに言えば、フランスは愚かな国家である。

 

この国は自由と責任を完全にはき違えている。自由が際限なく溢れ、それに対する責任は負わなくてもいいと考えている。

 

元来、自由と責任は表裏一体の関係にある。自由を行使すれば責任が伴う。自由を行使した結果、問題が起こればその責任を負うことは当然である。

 

フランス人はことあるごとに“自由”というものを掲げる。表現の自由、発言の自由、思想の自由。自由は確かに人間の認められた不可侵の権利である。しかしながら、認められた不可侵の権利だからといってそれを際限なく行使していいのだろうか。フランス人は自由という権利を乱用しているのではないだろうか?<続く>

 

 

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