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フランスが抱える自由と責任のジレンマ ③

 

 

フランスは絶対王政の国であった。王の命令には絶対に従わなければならず、自由なんてものはなかった。それに業を煮やしたフランス国民たちが国王をギロチン台に送り、処刑した。フランス革命である。

 

そして、国民の自由を謳った“人間と市民の権利の宣言”、いわゆるフランス人権宣言を採択した。

 

今日、フランス人は自分たちの先祖が行ったこのフランス革命を、そしてそれによって得た自由を謳った人権宣言を誇りに思っている。先祖は自由のために戦い、勝利し、得たのだと。

 

フランスの国旗はトリコロールという3色の国旗であるが、それぞれの色に意味がある。1つは平等、1つは博愛、そして1つは自由である。これでフランス人がいかに“自由”というものに固執しているかがわかるだろう。

 

しかし、自由を手にしたフランスはその後どうなったのだろうか。フランスは絶対王政を打倒しブルボン朝が終焉した後、第1共和制に移行する。共和制とは民主主義の国家ということである。

 

では、第1共和制のフランスは本当に民主主義国家になれたのであろうか。答えは否である。

 

共和制とは名ばかりで、ジャコバン派という政治党派がジロンド派という政治党派を公会から追放したり、ロベスピエールという政治家が台頭し、気に入らないものは次々に処刑していく恐怖政治を展開した。

 

国内の状況も国外の状況もフランスにとっては最悪だった。革命の影響を恐れたオーストリアを中心としたヨーロッパ諸国が対仏大同盟を結成、フランス革命によってできた政権を打倒するために立ち上がった。

 

対仏大同盟という強大な敵に立ち向かわなければならなかったフランスだが、国内はまとまらず、一枚岩になれなかった。そんな中で軍人のナポレオンが台頭。そして、1804年ナポレオンは皇帝に即位する。第1帝政の始まりである。帝政とは皇帝による独裁体制のことである。

 

つまり、フランスは王による独裁を拒否し、自由を手にするために革命を起こし、王制を打倒し、自由を手にしたものの、自由をコントロールすることができず、わずか10年で皇帝による独裁体制である帝政に移行したのである。彼らは“自由”を自ら放棄したのである。

 

自由を自ら放棄した国が今日、自由を主張することは甚だおかしい。第1共和政時代のフランス人は自由の代償である責任を負うことができないから自由を放棄した。一方、今日のフランス人は、自由は行使するが、責任は負わない。第1共和政時代のフランス人のほうが数億倍まともである。<続く>

 

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