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チャンスは均等に与えられるべき?機会の平等について考える

チャンスは均等に与えられるべきか?
 
結論からいうと、僕は機会の平等は必要だと思う。
 
僕は、機会の平等がむしろ社会の発展のために必要なのではないかと考える。
 
現状では、機会の平等は保障されていない。たとえば、受験勉強であれば、お金が持っている家庭ならば予備校に行けたり、たくさん参考書を買えるが、一方お金がない家庭であればやはりそういう環境面で劣ってしまう。
 
僕は以前そういった環境がハングリー精神を生み出し、社会を発展させると書いたが、そういった状況はまれなのではと考えた。つまり、置かれている状況や環境はその人にとってとても重要であり、そこにある障害は思いのほか大きいということである。
 
やはり全員が同じ環境、つまり同じ状態で受験勉強 ができるという機会の平等が保障されている方が結果の期待値は大きいと思った。
(数式で表すのであれば、-1+(-2)+0よりも全員が同じスタートライン、環境 0+0+0のほうがいいということである)
 
しかしながら、平等について考えるとき環境や状況を平等にするだけでは解決できないこともある。それは、社会的な弱者(特に身体的な弱者)の問題である。環境の問題ではたとえばお金がそれを解決してくれるが、身体の問題であれば、そうはいかない。
 
たとえば、手の施しようがなく一生寝たきりになってしまった人である。そういう人にとっては機会の平等は逆に不平等になるのではないかと思った。たとえば、先ほどの例で考えるなら、環境の不平等(-1)はたとえばお金で環境を平等(0)にすることができた。ところが、身体的な弱者の場合つねに身体のハンデ(-1)がつきまとうわけである。つまり、いくら機会の平等がなくなって全員が(0)になったとしても、身体的弱者の( -1)は同じままである。つまり、これは機会の平等が生み出す不平等と言えるのではないだろうか。なんでもかんでも平等にしてしまうとマイナスだったものが平等=(0)になることもあれば、プラスであったものも平等=(0)になってしまう。それをなくすために必要なのが結果の平等ではないのかと思った。
 
身体的弱者(-1)と健康者(0)。身体的弱者は健康者と同じような量の仕事がこなせないため結果にも差が出てしまう。身体的弱者(1)と健康者(5)。こういった状況をなくすために結果の平等、両者(5)ずつといった平等が必要なのではないだろうか。
 
最後にここまで論じた意見をまとめる。平等というものはそれを誰に対して行うかで利益にも不利益にもなると思った。機会の平等を身体的な弱者に行うのであれば、不平等になるし、結果の平等を健康者に行えば、不平等になってしまう。
 
現社会では社会的弱者が不平等を被る方が圧倒的に多い。社会的弱者をどのように扱うかによってその社会の将来性が決まるだろう。
 

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