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心はそれだけで存在するのか?デカルトの実体二言論について考える

 
心はそれだけで存在しうるのか?
 
僕は存在しない、物理主義者という立場を取っていてこれは僕の“心”に対する考え方としてあてはまるが、すべてではない。というのは、“心の存在“というものに関して僕は2つの相反する考え方を持っているからである。
 
1つ目が、心はそれだけでは存在しない、なぜなら証明できないからであるという立場である。
 
今日、科学が飛躍的に進歩しているが、たとえば“心”の写真を撮ったものはいない。また、“心”はそれだけで存在しているという明確な証拠を出せたものもいない。これはつまり心がそれだ けで存在しないためである。
 
しかしながら、2つ目の僕の考えは、心はそれだけで存在するというものである。これはたとえば、死んだ人の魂は現世に戻ってくる(彼岸)であったり、神様はつねに我々を見守ってくれるといった考えである。
 
この2つの考えは裏表の考えであって、両方信じるのは矛盾している。しかしながら、僕は“心の単体の存在の是非”に関してはこれらの矛盾する2つの考えが同時に成り立ってもいいと思う。
 
人生において、存在は証明できないけど、その存在を信じたいという場面は山ほどあると思う。たとえば、未確認生物は未確認であってその存在を証明できないけれど、いてくれたらなんかいいなという感じである。
 
神様の存在を証明することはできないけど、信じていると心が安らぐ、安心するというのも同じである。
 
 
僕は1つ目の考えの存在は「科学的な存在」であって、2つ目の考えの存在は「心情的な存在」というそれぞれ別のタイプの存在の考え方だと思う。
 
つまり、最初の問いに対して、存在すると答えた場合も存在しないと答えた場合もこれらは科学的な存在の是非であり、証明可能である。しかしながら、存在しないと答えた人の中には、僕のように科学的には証明できないけれど、気持ち的には存在していると答える人がいると思う。この時の存在は「心情的な存在」である。
 
 
元来、日本人はこの「心情的な存在」というのをずっと 信じてきたように思う。八百万の神に始まり、おてんとうさまが見ているから悪いことはできないなど、科学で存在を証明することはできないけど、その存在を信じて今日まで生きてきたのである。
 
なので、僕は“心はそれだけで存在しうるのか?”という問いの答えは言い切る必要はないと考える。
 

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