ハンガリーから発信中

世の中はおもしろい出来事であふれている

2日目 父とハンガリー

 

両親に会うのは実に2年ぶりだ。2年前は僕が免許の更新のために日本に帰り再会した。あれから2年。昨日、空港で久しぶりに見る両親の顔は変わっていなかった。ただ、少し照れくさかった。

 

彼女と待ち合わせ場所のホテルのロビーに時間通りに到着する。2人ともぐっすり眠れたようだ。今日はまず国会議事堂の中を見学する。ブダペストの観光スポットで最も人気のあるスポットだ。残念ながら日本語のガイドはなかったので英語のガイドを予約した。ただ、母は英語を鍛えることができるのでうれしそうだった。

 

2人ともよく眠れたが時差ぼけのためなのか早く寝たためなのか朝4時ごろに目が覚めたようで時間をつぶすためにホテルの周辺を2人で散策したらしい。近くには昔ながらの大きな駅がある。日本のCM撮影にもたまに使われる。中に入ると大きな掲示板があり電車の発着時間を知らせてくれる。時間がわかると"パタパタ"と音を立てて、時間が表示される。この掲示板は電子掲示板ではない。父はこの昔ながらの駅と電車がひどく気に入ったらしくたくさんの写真を撮っていた。そして、滞在中毎日この駅に行っては写真を撮っていた。

 

ただ、スマホの操作になれていない父が撮った写真はぶれていたり、指がはいっていたり、焦点があっていないものがほとんどだった。これはこれできっといい思い出になるのだろう。写真だけが思い出を残すための手段ではない。実際に自分の目に焼き付けたものは写真以上の思い出になる。

 

国会議事堂に早く着きすぎたので、近くにあるバシリカを見学した。それとスーパーにも寄った。両親はハンガリーのスーパーがかなり興味深かったようでいろいろな商品を見ていた。また、パン職人の父はスーパーで売られているパンに釘付けになっていた。ハンガリーのパンの中で"キーフリ"という三日月形のパンがある。もちもちしておいしい。値段も5円程度である。このパンを2人に勧めると2人とも気に入ったようで「おいしい」と言っていた。

 

国会議事堂の見学も無事に終わった。母は英語ガイドの英語が速くてあまりわからなかったようでリスニング力を鍛えなきゃダメだと痛感したらしい。母に「ドナウ川は英語ではドナウリバーとは言わない。英語ではDanubeという」と伝えると驚いていた。ちなみに、「ハンガリー」は英語では"Hungary"だがハンガリー語ではハンガリーとは言わないことにも驚いていた。

 

ディナークルーズまで時間があるのでお土産やさんが並ぶ通りを歩くことにした。道中、父が「温泉に行きたい」といった。ハンガリーはヨーロッパ1の温泉大国だ。ブダペストには多くの温泉がある。ただ、日本の温泉とは違う。日本では男女別で裸で入り、ゆったりとした時間を過ごし心も身体もリフレッシュする。一方、ハンガリーの温泉は男女が水着を着て入り、みんなでわいわいして楽しむ。日本のナイトプールのようなイメージだ。なので、父がイメージしている温泉とは天と地のさであることを伝えたが父は言ってみたいと言い続けていた。そこで一番有名な温泉に行くことにした。ロビーには多くの若者がいてにぎわっている。明らかに日本の温泉とは違う。水着着用が義務なのだが、水着を持っていない父はふんどしでもいいか係員に尋ねてくれないかと言ってきた。言われたとおり聞くと、鼻で笑われた。そんな客は門前払いである。

 

ディナークルーズの時間が迫ってきたので温泉をあとにし、船が出発する場所に向かう。雨が降り始め、強くなってきた。時間通りにつき、船に乗る。席は舞踊ショーが行われるステージのまん前だった。ショーはまだ始まっていなかったが、おじさんが木琴を弾いていた。続いてバイオリンを持ったおじさんが来た。彼は僕らを見るなり「日本人ですか?」と尋ねてきた。父はなんでわかるのか自身の胸に日本の国旗のピンバッジが光っているのを忘れ、不思議がっていた。

 

船が出港し、料理が運ばれてくる。おいしい料理に舌鼓を打っているとハンガリーの民族衣装をまとった女性がマイクを持って登場し、ハンガリーの民謡を歌い始めた。コンサートが好きな父は特に喜んでいた。

 

突然父が笑い始めた。隣の席にいた人の顔が志村けんに似ていると言い出した。相手にばれないように斜め前にいる志村を見ると確かに似ていた。親子3人で志村けんに似ている人を見て笑う。その光景を彼女は理解していなかった。志村けんの写真を見せ、斜め前の人物が似ていることを伝えると苦笑いしていた。ハンガリー人にはわかりづらい冗談のようだ。

 

料理もショーも終わり船は出港した場所を目指しゆっくりと進んでいた。クルーズももう終盤だ。船のデッキに出て写真を撮り、スタッフに渡されたアンケートに答える。僕も父も満点だったが母と彼女は料理をのせたお皿がところどころ割れているのに気づき、「お皿を変えるべきだ」とコメントを書いていて、減点していた。女性陣は手厳しい。

 

船が波止場に着いた。今日の予定は全部終了した。明日はウィーンに行く。両親の海外旅行も明日で折り返しの3日目だ。ウィーン行きのバスは朝早く出るので早めに集合することを伝え2人と別れた。

1日目 両親と飛行機

 

僕と彼女は空港で両親を待っていた。

 

羽田空港の飛行機の出発情報を見ていると、飛行機は無事に飛び立ったものの搭乗開始時間は30分早まったらしい。両親はそのことに気づいて早めに空港について無事に飛行機に乗れたのだろうか。

 

両親は今回ターキッシュエアラインを使ってハンガリーに来る。日本からハンガリーへの直行便はないのでイスタンブールで乗り換えるのだが、乗り換え時間は2時間もない。降りたら保安検査場も通過しないといけないだろう。そして、イスタンブール空港は広いだろうから無事にイスタンブールからハンガリー行きの飛行機が出る搭乗口につけるだろうか。いろいろなことが心配になった。

 

空港の飛行機の情報版を見る。両親を乗せた飛行機は無事にハンガリーに到着した。出口から次々にお客さんが出てくる。2人はまだだ。今かいまかと両親を待つ。すると、出口のドアが開き見慣れた顔が出てきた。自然と笑みがこぼれた。2人のもとに駆け寄り、彼女を両親に紹介し、宿泊先のホテルに向かうためのバスに乗るためバス乗り場へと向かった。

 

チケットを渡しバスに乗る。すると、母が彼女に"May I have your name?" (名前を聞いてもいいですか?)と英語で聞いていた。母は僕が小さいときから町の公民館で開かれる英会話教室に通っていたり、自分でも英語の勉強をしているのを僕は知っていた。夏に仕事を辞めて、本格的に英語の勉強をし始めたこともしっていた。だから、母が英語を話せることに驚きはなかったが、"What is your name?"ではなく、"May I have your name?"と初級レベルではない英語を使ったことにびっくりした。母の英語力は僕の予想以上に高かった。

 

ホテルに向かうバスの中で2人があやうく羽田からイスタンブール行きの飛行機を乗り損なうとこだったと聞いた。自宅から空港まで車で行くのだが空港の駐車場は高いため空港の近くで安い駐車場にとめることにしたらしい。飛行機が夜遅い便のため駐車場につくのも夜遅くになってしまい通常は駐車場はすでに閉まってしまっている。ただ、電話で到着する時間を伝えたら駐車場を開けてくれるようだ。父はすでに見つけた駐車場にあらかじめ到着時間を伝えていたのだが、前日になりもっと安いところを見つけたようでそっちに駐車しようとした。ところが、到着時間を知らせる電話をしなかったため駐車場は閉まっていて駐車できなかったらしい。幸い、近くに開いている駐車場があったためそこに車をとめて飛行場にむかった。なんとか空港には着いたものの搭乗時間が30分早まったのをそのときに知り、かなりあわてたという。ただ、結果的には無事に搭乗でき、ハンガリーに到着できた。結果オーライだ。

 

車中で母がイスタンブール空港で円をユーロに両替したといいレシートを見せた。しかし、その数字がどうもおかしい。5000円渡したのに対して500ユーロをもらったという。500ユーロは日本円で約6万円だ。5000円渡して6万円相当のユーロをもらったことになる。そんなバカな話はない。母にもらったユーロを見せてもらうと、いくつかは確かにユーロの紙幣であったがその間にトルコリラが入っていた。両替所でおそらく相手にはわからないだろうとユーロとトルコリラをミックスされて渡されたのだろう。なんともふざけた両替所だ。

 

バスを降りて、地下鉄に乗る。ハンガリーには自動改札機はないので2人は買ったばかりの1週間用の定期券を駅員に見せる。2人にとっては新鮮な出来事だろう。

 

地下鉄を降りるとホテルはすぐそこだった。チェックイン時間になっておらず部屋の準備ができていなかったようなので時間まで近くのコーヒーショップに行った。母親はミルクが少なめのコーヒーが好みのようだが、ハンガリーにはそういうコーヒーはないようで頼んだコーヒーにはミルクが大量に入っていた。コーヒーを飲まない僕には味の違いがわからない。父は眠そうにしている。そりゃそうだ。日本を夜に経ち、ブダペストについたのは朝の8時。時差ぼけもあるだろう。

 

チェックインの時間は昼の12時でまだ時間があったのでフロントに荷物を預け、鎖橋や王宮を見学することにした。近くまでバスや電車でもいけるが、せっかくだから街並みも生で楽しんでもらうために歩くことにした。王宮は今じぶんたちがいるところからドナウ川をはさんで反対側にある。

 

徒歩で約1時間の道のりだ。たった今10時間以上の長距離フライトを終えた人に対するプランではない。でも、2人は楽しんでくれた。フと父が「ドナウ川を船でクルーズしたい」と言い出した。ドナウ川には観光客用のクルーズ船はいくつもある。船が出ている場所に行き、チラシをもらった。ランチクルーズやディナークルーズなど様々なタイプがある。ホテルでも予約できるようなのでチェックイン時に予約することにした。

 

鎖橋を渡り、王宮へ向かう。その前に腹ごしらえだ。時間は12時を過ぎていた。近くのレストランへ行き昼食を取ることにした。両親にとってはハンガリー料理は初めてだ。油ものが苦手な母にはマッシュルームを使ったシチューを注文し、父はハムとチーズが入ったフライを頼んだ。料理がテーブルに運ばれ、初めてのハンガリー料理を2人は口に運んだ。母のシチューはおいしかったようだ。父のフライもおいしかったようだが、想像していたのとは少し違ったようだ。そこで僕が注文したハンガリーの名物料理のビーフシチューをあげるとこっちのほうがおいしかったようですぐにたいらげていた。

 

バスで山をのぼり王宮に到着した。観光客でごった返している。父は食事もとりもう眠そうだ。ハンガリーはまだ昼の2時ごろだが日本は夜の9時をまわっている。父は「もう寝る時間だ」と冗談交じりに言っていた。王宮は山の上にあり、ブダペストの街を一望できる。幸い、天気もよかったのでブダペストのきれいな町並みを見ることができた。

 

時刻は4時をまわりまだまだアクティビティーをする時間はあったがさすがに2人の体力が限界をむかえたので、ホテルに戻ることにした。フロントでチェックインをし、ついでにディナークルーズの予約をする。クルーズにはハンガリーの民族舞踊ショーもついているらしい。彼女の分も予約してくれた。彼女はハンガリー人だが、ドナウ川クルーズは一度も体験したことがないらしく喜んでいた。

 

明日は朝、国会議事堂に行き、夜はディナークルーズだ。集合時間と場所を確認し、2人が持ってきてくれたお土産をもらい僕と彼女は家に帰った。

 

0日目 両親がハンガリーにやってくる

9月のある日、妹経由で母から「近いうちにハンガリーに遊びに行ってもいい?」という連絡がきた。「いいよ!」と返す。すると、今度は父から旅行日程が書かれたメールが送られてきた。両親は11月の頭にくるようだ。

 

同棲している彼女に両親が来ることを伝えると興奮しながらも緊張していた。プレゼントになにを渡せばいいかとか、なんて挨拶すればいいかとか、何を着ればいいかとかまだ会うのは2ヶ月も先なのに心配していた。

 

僕も僕でいろいろ心配した。両親はヨーロッパへの旅行はかなり久しぶりなので、乗り継ぎ先の空港で迷わないか、言葉は通じるか、麻薬の売人にスーツケースを渡され安易に受け取らないかなど子供ながらに心配した。

 

両親も両親でハンガリーの冬は寒いか、いくら両替したらいいかなど心配していた。ただ、それ以上にケータイのことで心配していた。両親はケータイをあまり使わない。ケータイ自体持ち始めたのは僕が大学生になったときからで、スマホではなくガラケーをずっと使っている。

 

しかし、日本では近々ガラケーがサポートされなくなるようでこれを機に両親はスマホに変えるのだという。ただ、ケータイ音痴の両親はケータイショップで使い方の説明を聞いてもほとんどわからなかったようでそれを心配していた。

 

ケータイのプランには海外でも使える海外プランなどがあるがそういったことはなにもわからないようなので、とりあえず、飛行機に乗ったらケータイを機内モードにすることとブダペストの空港には出口はひとつしかないのでそこで待ってるから確実に会えること、そして宿泊先のホテルではインターネットに繋げるので2日目以降の待ち合わせの連絡は問題なくできることを伝えた。

 

両親は5日間ハンガリーに滞在する。母からのリクエストでブダペストにある世界一綺麗なマクドナルドと別のヨーロッパの国にも行きたいと言われた。そこでブダペストからバスで簡単にいけるウィーンに日帰りで行くことにした。ウィーン旅行を3日目にして、残り4日のプランを練る。国会議事堂や鎖橋、英雄広場など定番スポットを盛り込んだ。しかし、それでも2日もあればブダペストのスポットは回りきれてしまう。そこで1日はブダペストの隣町に行くことにし、もう1日は僕の住んでるとこに来て暮らしぶりを見てもらうことにした。

 

会社から5日分の有給休暇も無事にもらえた。

 

準備万端だ。あとは両親が来るのを待つだけ。緊張はしていなかったし、親がハンガリーに来るという実感もなかった。ただ時間がいつものように過ぎていった。無事に会えるかとか麻薬を渡されていないかといった心配事は相変わらずあったが、彼女と両親の対面の日が近づくにつれて3人がうまくやれるか不安になった。彼女は日本語を話せない。母は少し英語を話せるが父はさっぱりだ。もし、沈黙が続いたらどうしよう。両親の前で僕と彼女が喧嘩したらどうしよう。悩みのタネはいたるところに落ちていた。

 

そんなことは関係なく時間は流れていき、ついに両親がハンガリーに来る日を迎えた。

ハンガリーの会社に対する愚痴

 

僕は海外就職相談所というものをはじめ、今まで海外で働くことに興味ある人の相談に乗ってきたわけだが、海外就職を積極的に推奨しているわけではない。

 

もちろん、海外で働くことに興味ある人がいれば相談に乗るが、そうではない人に「海外で働きなよ!」などということは一切ない。

 

よく、日本にはブラック企業が多いとか日本の働き方は時代遅れだなどという人が多い。日本での就業経験はバイトしかなく、全てのバイト先が非常にいいところだったのでそういう実感はないのだが、おそらく正社員になると見えてくるものも違うのだろう。

 

ただ、全ての企業がブラックだとも思わない。日本には数多くの企業があり、そのうちの数社、とりわけ大企業がブラックだとそれをメディアなどが大きく取り上げ騒ぐので日本の全企業=ブラックというイメージができてしまうのだと思う。

 

それから、「海外では有休を簡単に習得できて、体調が悪いときは問題なく休めて、残業もないから日本よりも海外で働くべきだ」という人がいる。確かに、僕が今働いている会社では基本的に好きなときに有休を取得でき、体調が悪いときは会社を休め、しかも日給の70%までもらえる。また、残業もほとんどない。もし会社の都合で残業した場合は残業した時間分、翌日は働かなくていい。

 

こう聞くとハンガリーはなんて働きやすい国なんだろうと思うだろう。確かに、この制度は非常に魅力的だ。ただ、ハンガリーにある全ての企業がそういうわけではない。中には残業が多く、「会社の都合で残業した場合は残業した時間分、翌日は働かなくていい」という制度があるにもかかわらず守られていないというところもある。結局、日本だろうが海外だろうが社員のことをしっかり考えてくれる会社もあればそうでない会社もある。

 

そういうと、僕が働いているところはとてもいい会社だと思うかもしれないが、もちろん好きではない部分もある。

 

僕の仕事はわかりやすく言うとコールセンターなので、いかに多くの電話を取れるかが重要になる。例えば、15件電話がかかってきたら、15件対応しなければならない。もし、半分しか対応できなければそれは非常にまずい。マネージャーは毎日「全ての電話に対応しろ」と口をすっぱくして言ってくる。

 

ただ、働いている側からすればそれはあくまでも全て対応できる環境をマネージャーが整えてからはじめていえることだ。

 

どういうことかというと、僕の会社は人材が不足している。

 

所属しているフランス語チームで言えば、正社員は僕を含め2人で、バイトが1人。しかも、もう1人の正社員の子は来月で辞める。つまり、来月からは2人になる。それに対して、フランス語対応のカスタマーの数は変わらない。なので、今まで3人で対応していたものを2人で対応しなければいけないということだ。それには無理がある。

 

にもかかわらず、上は「全ての電話に対応しろ」と言ってくる。現場をわかっていない。

 

さすがに、社員からクレームが殺到したのか、マネージャーがある対応策を発表した。あまり電話がこない言語を担当している社員が別の言語のカスタマーを英語で対応するというものだ。

 

例えば、フランス語対応を選択したカスタマーがフランス語対応デスクに電話したものの、フランス語対応オペレーターが全員別のカスタマーに対応している場合、彼らが英語で対応する。

 

これにより、人材不足の問題はわずかに解消されたが、カスタマー側からすれば恐ろしいだろう。例えば、僕が日本語対応を希望し電話したら「英語で対応します」といわれるのと同じことだ。

 

そもそも、なぜ人材が不足しているのだろう。

 

ハンガリーは通貨にフォリントというユーロの2分の1の価値しかないものを採用している。要するに、人件費が安い。なので、企業がヨーロッパに在住の人向けのカスタマーサポート部門を作る場合はハンガリーで作ったほうが安上がりだ。よって、ハンガリーには多くのカスタマーサポートの仕事が存在する。

 

そうなると、働く側としては給料が高いほうを選ぶ。残念ながら、僕の会社の給料は他と比べるとかなり低かった。今年の頭に給料をあげたが、時すでに遅しで多くの人材が給料の高い企業に転職していった。

 

ハンガリーで例えばフランス語話者を見つけるとすると大変だ。まずフランス人でフランスよりも給料の低いハンガリーで働いているひとなんて見つけることはほぼ不可能だ。ベルギー人も同様。そうなると、フランスの旧植民地だったアフリカの国の人たちを雇うことになる。なので、僕の同僚にはアルジェリア人やチュニジア人が多い。

 

 

とまあ、僕の会社の事情はこんな感じだ。

 

全ての企業にいいところと悪いところがあるので、自分に最適な会社を見つけることが重要だ。

 

 

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クロアチア旅行とクロアチア語


夏のバカンスでクロアチアに行った。初めてのクロアチアだった。

ハンガリーの首都ブダペストからクロアチアの首都ザグレブまでは直通のバスで約6時間ほどで行くことができる。

さて、僕は他の国に行く際には挨拶や要求の伝え方などいつもその国の言葉を前もっていくつか覚えておく。現地のひととスムーズにかつ友好的に関係を築くためである。

クロアチアの言語はクロアチア語。ロシア語と同様スラブ語派に分類されるようだが、ロシア語が東スラブ語群に属するのに対し、クロアチア語は南スラブ語派に属するようである。

似ている言語はセルビア語のようで、よくセルビア人はクロアチア語を、逆にクロアチア人はセルビア語を理解できるといわれているが果たして本当なのだろうか。

そんなクロアチア語の挨拶はなかなか長い。

Dobar dan (こんにちは)

ネットで発音を聞いてみる。
"ドバル ダン"という発音のようだ。

音声に続けて発音してみる。なかなかぎこちない。

Hvala

「ありがとう」はこういうらしい。
お!短い。

発音も"フヴァラ"と簡単そうだ。

「はい」は"Da"
「いいえ」は"Ne"
とそれぞれ言うようである。これも割かし簡単そうだ。

とりあえずこの4つの言葉を覚えておけば、お店やレストランで店員さんといい関係を築けるだろう。そう旅行前は思っていた。

ところが、クロアチアに着いて早速覚えたての"Hvala"を使うも通じなかった。

バスの運転手に言っても、店員さんに言っても反応が薄い、というかほぼない。

差別されてるわけでもない。どうやら僕の発音が悪いようだ。

宿泊先に着き、係りの人に聞き、実際に発音してもらう。

すると、僕が"フヴァラ"と"V"の音を強く発音しているのに対し、
彼女の発音は"ファラ"と"V"の音がほとんど聞こえなかった。

次の日、お店に行き、店員さんに覚えたての発音で"Hvala"と言ってみる。
すると、彼女はこちらを見て、にっこりとし"Hvala"といった。

僕のクロアチア語が通じたのだ。

その瞬間、僕はクロアチアに受け入れられた気がした。


ただ、「ありがとう」が通じただけなのだがそれがなにか大きなことを成し遂げような気持ちにさせてくれた。これが外国語を話すことの醍醐味の1つかもしれない。

ハンガリーで住所を変更する際に必要な書類

滞在許可証はすでに持っているが、ハンガリー国内で引越しをして新しい住所が記載されたアドレスカードを申請する際に必要な書類。

 

1、アドレスカードの記入シート・・・移民局で入手可

 

2、住むところのオーナーとの契約書

*もし住む場所が例えば友人や恋人の実家で賃貸料が発生せず、オーナーがその両親や家族の場合はここに住んでいるという誓約書が必要。誓約書のフォーマットは自由だが、自分とオーナーの名前とサイン(オーナーが複数いる場合、例えば家の登記簿に両親2人の名前がある場合は彼らの名前とサインがそれぞれ必要)、なにかあったらすぐに出国する旨などを記載しておく必要がある。

 

3、家の登記簿(Tulajdoni lap)

役所あるいはインターネットで取得可能。有料。

インターネットで取得する場合はスタンプはついていないが、「公式」という文言が入っているので問題なく使える。

オーナーに"Tulajdoni lap"がほしいといえば、すぐに取ってもらえる。

 

4、以前のアドレスカード

 

5、パスポート

 

6、滞在許可証

ハンガリーで労働ビザを受け取るには?

 

昨夜、やっと新しい労働ビザを受け取りました。2年更新ができたので、2021年までハンガリーに滞在できます。3月の8日に申請して、不足書類があって19日に不足書類を提出し、5月の13日には結果が出ていたようなのでだいたい2ヶ月待ちました。公式にはビザの申請から結果が出るのは70日以内となっているようなので、その期間内に受け取ることができました。

 

ただ、受け取り方がなかなかトリッキーでした。

 

今まではビザの受け取りの方法として移民局で直接受け取るか、郵送かを選択できたのですが、最近混雑緩和のためか郵送受け取りのみにした移民局。僕はシェアハウスに住んでいるので同居人や他の階の人に間違って取られないか内心心配していました。

 

それでも待つことしかできないので、ただひたすら待ちました。

 

しかし、待てど暮らせど一向に結果通知が来ないのでついに痺れを切らして移民局に直接聞きに行こうかと思っていた矢先、移民局のホームページでコールセンターの番号を見つけました。

CALL CENTER: +36 1 463 9292 (MO-THU: 8.30-16.30, FR: 8.30-14.00)

 

ただ、こういう海外の公的機関のコールセンターはつながらないか対応が悪いので正直かけるのをしぶっていたのですが、意を決してかけることに。しかし、案の定つながらず。それでも時間をおいて4度ほどかけるとやっとつながりました。しかも、英語が通じる。

 

3月に申請したビザの結果がまだ出ていないからどうなってるか教えて欲しいというと、申請番号を聞かれ、伝えるとすでに郵送されたとのこと。

 

ビザの手紙は重要書類なのでいわゆる書留での郵送になっているようで日中仕事で家にいない僕は当然受け取れません。日本だとその場合、不在票を入れてくれるのですが、ここの配達員は面倒くさくて入れない人もいるというふざけたシステムのようです。なので、不在票を一枚も受け取っていない僕が気づかないのは当然でした。

 

気を取り直して、追跡番号を聞き、それを郵便局のサイトで見ると近くの郵便局にありました。

 

急いで取りに行くと、明日には送り返すところだったといわれました。

 

配達員のふざけた対応に怒りを覚えたのですが、そっと鎮めてビザを受け取った喜びに浸りました。

 

ハンガリーでビザを申請した人は70日前後を目安に待ってみて、もし通知が来ない場合は先ほどの番号に電話をしてください。つながらなくても根気強く!

 

 

オンデーズがオランダから撤退した理由を考えてみた

 

オンデーズというメガネチェーン店を運営する株式会社オンデーズが注目を集めている。

 

破天荒フェニックス オンデーズ再生物語  (NewsPicks Book)

破天荒フェニックス オンデーズ再生物語 (NewsPicks Book)

 

 

もともとメガネ業界では注目を集めていた企業のようだが、昨年出たこの本によりメガネに普段は関心のない人も含め多くの人がオンデーズを知るようになった。僕もこの本でオンデーズを知った。

 

本が面白かったこともあり、オンデーズに興味を持った僕は調べてみると、本ではアジアの様々な国に出店したことが書かれていたが、ヨーロッパやオセアニアにも出店していることがわかった。

 

現在、ヨーロッパに住んでいる僕はヨーロッパでの起業に興味があったのでオランダに出店しているオンデーズがどのような経営戦略をとっているのかなど知りたくなり、調べたが情報はほとんどなかった。そこで、オンデーズオランダに直接メールを送ったが残念ながら返信はなかった。

 

新しい年を迎え、再びオンデーズのサイトを開くと衝撃の事実を知ることになった。なんとオンデーズがオランダから撤退していたのだった。

 

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僕は撤退の理由を調べようとしたがオンデーズのサイトからは発見できず、ネットのニュースにもなっていなかった。そこでオンデーズの田中社長のTwitterのツイートにリプを送ったが、いいねされただけで返信はなかった。また、オンデーズのサイトのチャットから撤退の理由を聞こうとしたが、答えられないといわれた。

 

要するに、オンデーズがオランダから撤退した理由は一切公表もされていなければ漏れてもいないということである。そこで、僕がオンデーズのオランダ撤退の理由を考えてみることにした。

 

1、身体の構造の違い問題?

www.multilingirl.com

 

アジア人とヨーロッパ人では骨格など身体の構造に違いがある。

長年、日本のアパレル企業が海外では成功できなかった理由がここにある。ユニクロはこの身体の構造の違い問題を克服してヨーロッパで成功しているが、ユニクロ以外で海外で成功している日本のアパレルブランドは皆無だろう。

 

顔の作りも同じで、アジア人とヨーロッパ人の顔のつくりは異なる。オンデーズがアジアで成功できたのは日本人と他のアジアの国のひとたちの顔のつくりが比較的にているから日本のメガネがフィットし、ヒットしたと思う。

 

他方で、アジア人とヨーロッパ人の顔の作りは大きく異なるので日本のメガネはそれをヨーロッパの人用に改良したとしてもあまりフィットしなかったのではないだろうか。

 

2、サービスの問題?

 

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オンデーズがオランダに出店した際に示した事業展開のプランである。

日本のオンデーズと同じ質の高いサービスを提供している。

 

僕は以前、ハンガリーでメガネを買った。

japangary.hatenablog.com

 

レンズ代は追加で取られ、引渡しも1週間後だった。

また、種類もあまり多くなかった。

なので、これらのサービスはオランダでも大きな注目を集めたことだろう。

 

ただ、人間というのは初めて経験するものには恐怖心や抵抗感を抱く。例えば、最短20分で引渡しというサービスが「20分で引渡しなんて、きっと適当に作ってるに違いない」など抵抗感から勘違いされてしまう可能性もある。

 

オンデーズのヨーロッパではあまりなじみのないサービスの数々が先を行き過ぎていて逆に客足を遠ざけてしまった可能性はある。

 

 3、会社の方針転換?

現在、日本はもちろんアジアを中心に海外にも多くの店舗を出店しているオンデーズ

田中社長はインタビューで「今後、5年間で海外の店舗数を300店舗にしたい」と語っている。

www.digima-japan.com

 

しかしながら、店舗の場所をあまりに広げすぎてしまうと手が回らなくなってしまう。田中社長が直接現地の店舗に行き、指導したり経営状態を見る機会も減ってしまうだろう。

そこで、海外店舗を増やすとはいうものの、それは全世界という意味ではなく近場であるアジアやオセアニアの国にさらに店舗を増やすという意味ではないだろうか。

 

アジアやオセアニアに店舗を増やすとなるとオランダの店舗まで手が回らなくなってしまうので敢えて店をたたんだ可能性もある。

 

4、不動産業者との関係?

以前、ハンガリーには日本人が経営するカラオケ店があった。

しかし、場所を貸してくれていた大家さんとの関係が悪く、また再三家賃の値上げを要求されていて、やむなく撤退したという話を聞いた。

 

オンデーズオランダも同様に経営はうまくいっていたが、店舗を貸していた人との関係が悪くなり撤退せざるを得なかった可能性はある。

 

以上の4点が僕が考えたオンデーズのオランダ撤退の理由である。

 

追記)

この記事を書いた後になんと田中社長本人から返信をいただけた。

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1、ヨーロッパ仕様に商品を作り直すことに対してコストがかかりすぎる

2、メガネに対するとらえ方の違い

3、拡大路線の変更

 

ということで1と3は僕が挙げた理由の1と3とほぼ同じだった。

メガネに対する認識の違いも実は考えたが、オランダにも少なからずおしゃれなメガネがあったので理由から外してしまった。

 

 

ハンガリーの国立病院で胃カメラを受けてみた

 

ハンガリーの国立病院で胃カメラを受けました。

 

ちなみに、ハンガリーには国立と私立の2種類の病院があり、私立だとすぐに受けられますが、費用が10万フォリント程度(日本円で約5万円)かかります。

 

一方、国立病院では無料で受けることができますが、常に予約でいっぱいなので2、3か月待たなければなりません。

 

また、国立病院で胃カメラを受けるには自分の住んでいる区のかかりつけの医者の紹介状が必要で、その紹介状を指定された国立病院の受付にもっていき、日にちと時間を指定されるのでその日に行くと受けられるという仕組みです。

 

当日の朝は何も飲んだり食べたりしてはいけないなどのルールは日本と同じです。

 

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当日の朝、病院の受付に行き予約した紙を見せると待合室に案内されました。

すでに何人か待っていて、ここで順番が来るまで待ちます。

 

待ってる間に持病はないかや服用している薬はないかなどアンケートを書かされます。ちなみに、僕は英語のアンケートをもらいました。

 

また、お医者さんは英語を話せたので英語でやり取りしました。

 

そして、ついに自分の番が来たので診察室へ。

まずは口の中に麻酔を吹きかけられます。そして、横になり、口に器具をつけられいよいよ胃カメラがスタート。

 

時間にして5分くらいなのですが、永遠と思うほど時間が過ぎるのが長く感じます。

 

そして、終わると待合室で待たされ、5分くらいで結果を教えてもらえます。

 

僕は還流という症状があったので薬をもらい病院をあとにしました。

 

胃カメラは日本でも一度受けたことがあるのですが、何回受けても痛いですね。

 

ロシア語はおそロシア?! 決断編

 

流暢な関西弁混じりの日本語を話すウクライナ人の先生との週1回のマンツーマンレッスンは順調にいっていた。

僕のロシア語はメキメキと上達し、ある程度の会話ならできるようになったいた。


そんな僕をみた先生がロシア語検定5級の受験を勧めてくれた。


また、来年から正規のロシア語の授業への編入も勧めてくれた。



僕の学部では自分が専攻する言語以外の言語の授業に出ることは(理由はわからないが)NGだった。なので、僕の場合はフランス語以外の授業に出ることはダメだった。


しかし、先生は自分の授業であれば単位はでないが特別に聴講させてくれると言ってくれた。

ありがたい限りである。



僕は真剣にロシア語検定の受験を考え始めた。

その矢先、僕にとっては嬉しいもののロシア語学習にとっては悩みの種になる出来事が起こった。

フランスへの留学が決まったのである。


それが意味することはただ1つ。

フランスの大学の授業についていけるようにフランス語力を今まで以上にあげなければならない。ロシア語を続ければフランス語を練習するための時間が削られてしまう。


ロシア語検定への時間なんてとてもじゃないが割くことができない。


僕は先生に相談し1つの決断を下した。

それはロシア語検定は受けず、マンツーマンレッスンのスピードを少し遅くするということだった。

せっかくロシア語を半年近くやって、それなりに話せるようになったので少しでもロシア語力をキープしたかった。


そんなわけで、留学までの半年間はフランス語とロシア語を並行して練習した。


そして、留学前の最後のレッスンが終わった。


マンツーマンレッスンをお願いしてから1年間。僕のロシア語は最初とは比べ物にならないほど向上した!


最初は四苦八苦していたキリル文字もすらすらと読めるようになった。しかし、留学中にロシア語にふれる機会があるのかわからなかった。



3年の前期が終わり、8月になり夏休みが始まった。僕は9月に出発する。1か月間、フランス語とロシア語を並行して練習しつづけた。


そして、9月僕はフランスに飛び立った。