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「外国語なんて勉強してなんの得があるの?」という意見を考えてみる


おそらく、外国語を勉強している人の多くが一度は友人や同僚、上司などから「外国語なんて勉強してなんの得があるの?」とか「そんなの無駄だよ」などといわれたことがあるのではないだろうか。

僕は最近、それに近しいことを言われた。

僕は今、ハンガリーでフランス語を使って仕事をしているのだが、その傍らで転職を考えている。ありがたいことに日系企業が僕の能力や経歴に興味を持ってくれ、面接を受けた。

その際、「どんな仕事を希望するのか」と聞かれ、「フランス語を使うことが好きなので、フランス語を使える仕事が理想だ」と答えると、「外国語はあくまでもツールでしかない。それを極めたところでそれだけで飯が食えるのは極めた人のなかでも数人しかいない。だから、あまりフランス語にはこだわらないほうがいい」といわれた。

確かにビジネスにおいて「外国語が話せます」というのは武器にはなるが、決定的な武器にはならない。もし、同じ場に2人フランス語が話せる人材がいて、椅子が1つしかなければより優秀なほうを選ぶだろう。その際の指標となるのは+アルファのスキルだ。例えば、事務の経験がある、会計能力があるなど。

加えて、フランスではフランス語が話せることなど何のプラスにもならない。なぜならみんな話せるから。もちろん、それ以外の国では武器として十分使えるのだが。

いずれにせよ、フランス語を使うことだけにこだわると自分の道を狭めるだけだという気遣いも含めた言葉だったのだろう。

ただし、それはあくまでもビジネスの場合である。

外国語を勉強しそれを極める理由はなにもビジネスのためである必要はない。

外国語で本が読みたい。字幕なしで映画がみたい。外国を旅行して、現地の人と交流したい。外国人の友人や恋人が欲しい。

これら全て立派な理由である。

人の損得や価値観を他人が自身のものさしではかるなんてことはあってはならないのである。


自分にとって「外国語で本を読むこと」がなんの価値や得がなかったとしても、それに価値観を見出している人にとっては喜びなのである。決して無駄なんかではない。

それは外国語以外にもいえる。

「文学部は役にたたない」、「歴史学部を卒業してもいい仕事に就けない」

過去の人々が残したすばらしい文学作品の数々に触れ、その真意を学ぶことが役に立たないなんてなぜいえるのだろうか。教養は生きていくうえで必要なエッセンスである。

就職の役に立たないからなんだというのか。

本来、大学というのは学問をする場所であり、就職学校などではない。

学問の価値を就職にしか見出せない人はそれでかまわない。ただし、その価値観を他人に押し付けることなど言語道断なのである。


だから、「外国語なんて勉強してなんの得があるの?」なんて言葉は無視すればいい。

物事には損得を超えたものがあるのだから。