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フランスの歴史① ガリア

最初からフランスという国があったわけではない!

最初から今日のような花の都パリを首都とし、美食やファッションの中心として知られるフランスという国があったわけではありません。また、フランス人という民族も最初はいませんでした。

 

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紀元前60年(紀元前1世紀)、現在のフランスが位置する場所はフランスではなくガリア(Gauls)と呼ばれていました。そして、そこにはケルトという民族が住んでいました。

 

ガリアの下にはローマ帝国(赤色の部分)という巨大なローマ人の国がありました。紀元前58年、ローマ帝国の政治家であり軍人でもあったユリウス・カエサルを総督としたローマ軍がガリアの地に侵攻し、ガリア戦争が始まります。

 

戦争は紀元前51年にローマ帝国の勝利で幕を閉じ、ガリアはローマ帝国に属州(ローマ帝国の本国以外の領土)として支配され、敗れたケルト人はローマ帝国支配下に入ります

 

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時代は紀元前から紀元後に移り、紀元後3世紀、相変わらずローマ帝国が支配していたガリアの地に同じくゲルマン系のフランク人という部族が侵攻し、複数のガリアの地を陥落させ支配します。それに対し、ユリアヌスという司令官が指揮するローマ軍がフランク人を撃退し、ガリアの地を再度ローマ帝国支配下に戻します。

 

ユリアヌスはフランク人たちをブラバント(現在のベルギーとオランダが位置する場所)に移住させ、ローマ帝国の国境警備の職を与えます。また、ユリアヌスがローマ皇帝になったあとはフランク人たちはローマ軍の軍人として戦い、軍役後はガリアの土地を割り当てられ、ここに最初から住んでいたガリア人たちと生活を共にするようになります。こうして、ガリア人とフランク人の生活様式などが徐々に同化していきました

巨大なローマ帝国の分裂が時代の大きな転換点に!

長らく広大な地域を支配していたローマ帝国が分裂の危機を迎えます。きっかけは帝国が巨大になりすぎたため、それを統治するのが難しくなったからでした。

 

ローマ帝国が分裂する少し前、フン人というアジア系遊牧民がゲルマン系の東ゴート人という民族が住んでいた黒海北岸のドニエプル川の東側に侵攻し、支配すると一部はフン人の支配下に入り、残りはローマ帝国に保護を求めました。

 

 ローマ帝国は東ゴート人の人々をパンノニア(現在のハンガリーの位置する場所)に住まわせたものの、彼らの東ゴート人への扱いはひどかったため、東ゴート人はローマ帝国に対し反乱を起こし(ゴート戦争)、ローマ帝国は複数の戦いで東ゴート人に敗れるなど厳しい戦況を強いられました。結果的に、東ゴート人との間に休戦協定を結んだものの、この戦争はローマ帝国に大きなダメージを与えました。

 

一方、ドニエプル川の西側に定住していた西ゴート人は東ゴート人が征服されたことを聞き、375年に西進し、ローマ帝国に保護を求めました。ウァレンス帝は彼らをトラキア(バルカン半島南東部)に住まわせるも、西ゴート人への扱いはひどかったため、反発が起こりアドリアノープルの戦いへと発展し、ローマ帝国は敗れました。

 

そういったこともあり、395年にローマ皇帝だったテオドシウス帝が亡くなると、ローマ帝国はローマおよびその他の西側の都市を都とし、息子のホノリウスを皇帝とした西ローマ帝国コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を都とし、息子のアルカディウスを皇帝とした東ローマ帝国に分裂しました

 

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