ハンガリーから発信中

世の中はおもしろい出来事であふれている

フランスの歴史③ キリスト教の成立とその影響力

キリスト教とは中世ヨーロッパでどんな存在だったのか?

カロリング朝成立後のヨーロッパの歴史をみるまえに、キリスト教について少し学んでおきましょう。というのも、キリスト教は昔も今もヨーロッパの歴史を学ぶ上で非常に重要なポイントの1つです。これを理解しないととりわけ中世ヨーロッパの歴史がわからなくなってしまいます。

 

そもそもキリスト教は最初から存在していたわけではありません。キリスト教ユダヤ教から成立した宗教です。 

 

ユダヤ人たちが自分たちの始祖と考えるアブラハムは現在のイラクにあるウルという場所に住んでいましが、あるときヤハウェから啓示を受け、家族やハランにいた人々とともにパレスチナに移住しました。また、アブラハム唯一神であるヤハウェを信じればユダヤ人たちは救われるという教えも啓示されました。(選民思想) このようにして、ユダヤ人たちは選民思想を信じ耐え抜けば救世主が現れ、ユダヤ人たちを救ってくれる(メシア待望論)と考え始めました。これがユダヤ教の始まりです。

 

しかしながら、パレスチナはその後飢饉に襲われ食物が取れなくなったため、アブラハムの孫にあたるヤコブユダヤ人たちをつれて西のエジプトに非難しました。エジプトの18王朝下で彼らは豊かな暮らしをしていたものの、王朝が代わると新しいファラオは彼らの生活をねたみ、ユダヤ人たちを奴隷として酷使し始めます。ユダヤ人が増え、報復をされることをファラオはユダヤ人の男児たちを皆殺しするよう命じますが、モーセの母は赤ん坊だったモーセを隠して育てましたが、成長とともに隠し切れなくなると彼を川に流しました。

 

しかし、モーセはファラオの王女によって川でたまたま拾われたことで事なきを得ました。成長したモーセユダヤ人たちがエジプト人たちの迫害から逃れるため、ユダヤ教の教えを信じ、ユダヤ人たちを連れてエジプトを出て、ヤハウェから与えられた約束の地パレスチナ(カナン)に戻ることにしました。(紀元前13世紀 出エジプト)

 

しかしながら、一行の前には紅海が立ちはだかりました。モーセが祈るとヤハウェが現れ、紅海が真っ二つにわれ、彼らは紅海を渡ることができました。その後、ヤハウェモーセ十戒を授けました。

 

モーセ十戒

一神教

偶像崇拝の禁止

ヤハウェと呼ぶことの禁止

安息日の制定 (ユダヤ教では土曜日が安息日)

⑤ 両親を敬う

⑥ 殺人の禁止

⑦ 淫行の禁止

⑧ 盗みの禁止

⑨ 隣人への偽証の禁止

⑩ 隣人の財産などを欲してはいけない

 

紀元前10世紀ごろ、現在のパレスチナの地には古代イスラエル王国というユダヤ人の国家がありました。

 

しかしながら、ソロモン王(ソロモン王のときにパレスチナにあるエルサレムという場所にヤハウェ神殿が建てられました)という王が死亡すると王国は南北に分裂し、北のイスラエル王国アッシリア王国に、南のユダ王国古代エジプト王国に滅ぼされ、ぞれぞれ支配され、ユダヤ人たちは迫害されました

 

最終的にこの地はローマ帝国ユダヤ属州として支配しました。

 

そんなユダヤ教の中でもパリサイ派というモーゼの十戒を厳しく守る宗派の人々が強い権力を持つようになります。しかし、パリサイ派はあまりに厳格だったため安息日であっても生計を立てるために働かなければならなかった貧しい人々などから支持を集められずユダヤ教の教えはやがて衰退していきます。そんなユダヤ教の教えを再び復活させるために立ち上がったのがユダヤ人のエスでした。

 

エスパリサイ派の考えを否定し、貧富の差に関係なく律法を破っていても、神を信じていれば全ての人々が救われるべきだという考えを広め始めました。この思想は貧しい人々を中心に支持されたもののパリサイ派の人々やイエスの支持者たちによる反乱を恐れたローマ帝国の皇帝たちから反感を買い、イエスは捕らえられ処刑されました。

 

しかし、イエスの教えは彼の弟子たちによってローマ帝国内の人々に広められました。これがキリスト教の誕生です。(キリストはヘブライ語で「メシア」という意味)

 

しかし、もともとローマ帝国の人々はローマ神話の神々を信仰(ミトラ教)していたため、多神教崇拝を認めないキリスト教への反発はすごく、ローマ帝国の皇帝たちはキリスト教やその教徒たちを迫害や弾圧しました。しかし、帝国の地下にキリスト教徒たちは教会をつくり、キリスト教の教えを広め続けました。(カタコンベ) その結果、ローマ帝国内でキリスト教の影響力は非常に大きなものになりました。