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自民党の派閥を徹底解説 (自民党の派閥一覧)

 

そもそも「派閥」とはなんなのか。

辞書をみると

ある集団のなかで、出身、資格、利害、主張、好悪などを共通にする者が、集団全体の動向に影響を与えるために形成した小集団。(コトバンク)

とある。

 

要するに、主義主張が近い人や利害関係が一致する人たちの集まりのこと。

ちなみに、「派閥」と聞くと政治、とりわけ自民党を思い浮かべる人が多いと思うが、派閥は職場内にもあるし学会内にもある。

 

自民党の派閥

➀ 清和政治研究会 (清和会)

所属議員数は93人を誇る自民党の最大派閥。

会長は安倍晋三元首相であることから「安倍派」とも呼ばれる。

前身は安倍氏の祖父である岸信介元首相が会長だった十日会であった。この十日会がいくつかの派閥に分裂し、そのうちの1つが1979年に総理大臣を前年に辞任した福田赳夫氏によって設立された清和会である。

憲法改正や自主憲法改正などを唱え、タカ派と評される。

総理大臣輩出は5回。(福田赳夫、森、小泉、安倍、福田康夫)

 

志公会

所属議員は53人を数える自民党第2位の派閥。

会長は元首相の麻生太郎氏で通称「麻生派」。

前身は同じく麻生氏が2006年に設立した為公会でここに番町政策研究所天元会という他の2つの派閥が合流し2017年に志公会が誕生した。

1995年の自民党総裁選挙で宏池会(宮沢派)の有力者である加藤紘一氏が現職総裁の同じく宏池会(宮沢派)の河野洋平氏ではなく、平成研究会(小渕派)の橋本龍太郎氏を支持したことで宏池会の大半が橋本氏に投票したため河野氏は落選したことで両者の対立が鮮明になった。(KK戦争の始まり)

1998年に宏池会の次の会長に加藤紘一氏が決まるとそれに反対した河野氏ら15人が派閥を脱退し、大勇会(河野派)を設立した。この時、宏池会を脱退し大勇会の旗揚げに参加したのが麻生太郎氏であった。

その後、2006年の自民党総裁選挙で大勇会の支援を受けて立候補するも安倍氏に敗れた。その後、河野洋平氏が大勇会の次期会長を麻生氏に打診するものの、麻生氏はこれを断り為公会を設立した。大勇会所属の全11議員が為公会に加わるなど、大勇会を継承することになった。(大勇会は解散)

総理大臣輩出は1回。(麻生)

 

平成研究会

所属議員51人の自民党第3派閥。

会長は自民党幹事長の茂木敏充氏で通称「茂木派」。

自民党を離脱しながらも依然として党内に影響力をもつ田中角栄元首相に反対する竹下登らが田中角栄氏を会長とする木曜クラブ内に創政会という勉強会を1985年に設けた。その後、田中氏が病に倒れたことで木曜クラブは分裂し、1987年に竹下氏が経世会を設立。田中派の議員の多くが合流した。

1993年、小渕恵三元首相が会長の時に派閥名を平成政治研究会、そして現在の平成研究会へと2回改称した。

総理大臣輩出は3回。(竹下、橋本、小渕)

 

志帥会

所属議員は44人で、会長は自民党前幹事長の二階俊博氏で通称「二階派」。

前身は1966年に元首相の中曽根康弘氏らが中心となって設立した政策科学研究所で、ここに1999年、清和会を脱退していた亀井静香らが合流し、志師会が誕生した。

総理大臣輩出は0回。(中曽根康弘氏の首相就任は志帥会誕生以前なのでカウントしない)

 

宏池会

所属議員は42人で、会長は岸田文雄現首相で通称「岸田派」。

元首相の池田勇人氏によって1957年に設立された派閥である。

自民党の派閥の中では穏健派で経済政策を重視する傾向にある。

総理大臣輩出は5回。(池田、大平、鈴木、宮澤、岸田)

 

水月

所属議員は12人で、会長は2020年に設立者の石破茂氏が4度の自民党総裁選敗北の責任をとり辞任して以降不在。通称「石破派」。

総理大臣輩出は0回。

 

近未来政治研究会

所属人数は7人で、会長は2021年に衆議院議員選挙での落選を理由に辞任した石原伸晃氏以降不在。通称「石原派」。

1998年、総裁選をめぐって政策科学研究所を分離独立した山崎拓氏らによって設立された。

総理大臣輩出は0回。

2021年12月に「派閥」から他派への所属が可能な「議員グループ」に変更された。
2021年12月16日に森山裕氏が会長に就任したことで石原派は森山派に衣替えした。