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3日目 ウィーンと待ちぼうけ

 

父が朝食のバイキングを食べ過ぎたようでトイレからなかなか出てこなかった。ウィーン行きのバスの出発時間が迫る。焦りながら彼女と母と3人で待っているとようやく父が来た。

 

バスに乗り、ウィーン行きのバスが出るステーションまで向かう。その道中、母が朝食バイキングでほかの観光客と話したが「ウィーンに行く」と英語で伝えても全く理解してもらえなかったというストーリーを話した。無理もない。日本語では「ウィーン」だが、英語では"Vienna"という。そう伝えると母はドナウ川をドナウリバーとは言わないと伝えたとき以上にびっくりしていた。

 

ブダペストからウィーンまでは3時間の道のりだ。車内では父は爆睡し、彼女は翌日のテストに向けて勉強をしていた。僕と母は妹のことや祖母のことなどを話した。両親はこの旅行に妹も誘い、チケット代も出してあげるといったようなのだが、両親にお金のことで迷惑をかけたくない妹は断ったようなのだ。祖母はもういい年なので長時間フライトには耐えられない。祖母にももう2年会っていない。バスの中から電話をかけることにした。

 

「もしもし?」久しぶりに聞く祖母の声だ。元気そうだ。元気であることと来年日本に行くからそのときに遊びに行くことを伝えて電話を切った。

 

バスは時間通りにウィーンに着いた。バスを降りて、タクシーでシェーンブル宮殿に向かう。父が宮殿を見るなり「ディズニーランドのホテルに似ている」といった。親子というのは感受性が似るのだろう。僕の初めてシェーンブル宮殿を見たときに全く同じことを言った。

 

チケットを買い、時間まで昼食をとることにした。オーストリア料理はいろいろなタイプがあるが「シュニッツェル」というとんかつがある。僕はこれを「わらじかつ」と呼ぶと父は興味を示したようでわらじかつを食べようかと言っていた。ところがいざメニューを開くといろいろな料理に目移りし、ひとつに決められず結局直前になってあわてて選んだのはパイ生地に野菜などが入ったビーガン料理だった。父のフォークはあまり進まない。きっとおいしくないのだろう。僕が頼んだわらじかつを半分渡すとよほどわらじかつがおいしかったのかあるいはパイ料理がまずかったのかパクパクと食べ進めすぐにたいらげた。

 

庭園を散策し、宮殿内の見学の時間になったので入口に向かう。豪華なつくりの宮殿に両親は圧倒されていた。

 

2時間ほどかかり見学を終えるとすでに時計は3時を指していた。市街地にむかい散策することにした。ウィーンにも王宮はあるので手始めに王宮に向かう。道中、足を休めるためにカフェに入った。ところが待てど暮らせど店員さんが来ない。こちらから合図をしても全く気づかない。いや、もしかしたら気づいているのかもしれないが他の客への対応で手一杯なのかもしれない。20分待っても注文を取りに来ないのでカフェを後にし、王宮に向かった。ヨーロッパには日本の飲食店のように店員さんを呼ぶためのボタンがない。あるとどんなに便利なんだろうかと毎回思う。

 

王宮で写真を撮り、お土産やさんが軒を連ねる通りを散策する。ブダペスト行きのバスの時間が迫っていた。バスステーションまで歩いていくことにした。約1時間の道のりだ。僕にとってはなんてことないのだが、齢56の両親、特におしゃれなデッキシューズを履いていた父にとっては長い道のりだ。道中、父は何度も「ウィーンの路面電車に乗ってみたい」と連呼していた。そこで一度路面電車でバスステーションの近くまで行くことにした。ところが、待てど暮らせど路面電車は来ない。バスの出発の時間は刻々と迫っていた。このままではバスに乗れない。やむを得ず歩くことにした。

 

バスが出発する5分前になんとかステーションについた。みんなくたくたになっていた。店員さんがすぐ来ない、電車が時間通りに来ないというある意味ヨーロッパの洗礼を受けた両親だったがウィーンでの時間を満喫したようである。

 

バスの中では4人とも爆睡し無事にブダペストに着いた。明日は4日目。両親がここに滞在するのもあと2日だ。両親が来るまでは両親と会う実感がわかなかったが、今度は両親がハンガリーを発つ実感がわかなかった。きっと最終日まで実感などわかないのだろう。両親と別れ、彼女と家に帰った。