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4日目 大人とこども

 

父のスマホ写真のスキルは少し上達していた。4日目の朝も日課となっているホテル近くのレトロな駅に行き、駅や電車の写真を撮ったようで見せてくれたが、写真の質は最初よりもあがっていた。

 

この日はブダペストの隣にあるグドゥルーという街に行くことにした。ここにはバイエルン王国出身でありながら政略結婚のためオーストリア=ハンガリー帝国ハプスブルク家のヨーゼフ1世のもとに嫁いだものの、オーストリアでの宮廷生活になじめず旅行先で訪れたハンガリーを気に入り、晩年をハンガリーで過ごしたためハンガリー国民に絶大な人気があるシシーことエリザベートが過ごした宮殿がある。宮殿といってもウィーンの宮殿とは違って非常に質素なものだ。

 

雨の中、電車でグドゥルーに向かう。ハンガリーの電車に乗ってみたかった父は車窓から景色を楽しんでいた。1時間ほどで隣町につき、徒歩30秒の宮殿に到着した。シェーンブル宮殿とはまた違ったよさのあるグドゥルー宮殿を2人とも楽しんでいた。

 

宮殿内のお土産やさんに行く。テストのため一緒にこれなかった彼女へのお土産と両親にシシーが描かれたしおりのプレゼントを買い、店を出ようとすると入口に設置されている万引き防止用のゲートのアラームが作動した。日本は万人はいい人なので万引きなどする人はいないという性善説に基づいた社会のため店に万引き防止用にゲートなどない。一方でヨーロッパは万人は悪人であるという性悪説を基本とする社会なので入口にはゲートがあり、万引きをすると商品についたタグが反応しアラームが作動する。会計時にこのタグを店員が取るのだが、財布などの場合はタグが内蔵されていて取れないので専用の機械でタグを無効にする。ところが、タグを無効にしてもしばらくすると有効になってしまうようで、アラームが作動してしまう。しかも、その財布を売っている店以外でもアラームが作動するので、スーパーでもゲームショップでも財布とは全く関係のない店でアラームが作動する。そして、その都度バックを開け盗っていないことを証明し、財布をゲートにくぐらせ財布が原因であることを示す。毎回この「私は万引き犯ではない」くだりをやらなければならない。最初はアラームがなると逮捕されるのではないかと戦々恐々としていたがいまや慣れたもんである。

 

宮殿をあとにし、ブダペストに再度電車で戻り、オペラ座を見学することにした。外からオペラ座を見たことはあったが、中を見学したことはなかった。オペラ座見学にも英語のガイドがいて、説明してくれる。英語を上達したい母は熱心に説明に耳を傾けていたがガイドの英語が速かったり、単語がわからなかったりでわからないところがあったようでもっとリスニング力をあげないとと改めて誓っていた。

 

テストが終わった彼女が合流し、夕食を食べに僕の一番お気に入りのレストランに2人を案内した。いつもは観光客でごった返していてなかなか席を取れないのにこの日は運よく席をとることができた。ハンガリー名物パプリカの粉を使ったスープグヤーシュやビーフシチューなどを注文した。2人とも大満足していた。自分が好きなものを相手も気に入ってくれたときはいつだってうれしい。自分の味覚が認められた気分になる。

 

いよいよ明日は最終日だ。明日の夜にはもう2人はブダペストにいない。4日間朝から晩まで毎日一緒にいたからだろう、2人と会うのは当たり前のことになっていた。だからこそ、2人と次の日の夜にはもう会えなくなることを考えると急に寂しくなりふたりと別れたあとの路面電車の中で少しだけ泣いた。きっと、空港で見送るときは号泣だろうなと思った。いつだって空港での別れは苦手だ。そういえば、3年前に親元をはなれ初めてハンガリーに来た日の夜、ベッドの上で急に寂しくなり号泣したことを思い出した。

 

ヨーロッパでは家族と毎日メールしたり電話するのは普通だ。なので、僕が1月に1回しか電話しないというと家族と仲悪いの?とよく聞かれる。フランスに1年留学していたときは全く連絡せず、帰国前日に母に次の日に帰ることを伝えようと電話をしたら声を忘れられていて「どちら様ですか?」といわれた話をすると変だとよく言われる。

 

もちろん家族と仲が悪いわけではない。日本とヨーロッパでは家族との距離が違うのだ。自分が親になり、子供が親元を離れたときに自分は子供とどんな距離で接すればいいのだろう。心配だからと毎日連絡したらきっと子供から鬱陶しがられるだろう。だから、適度な距離で適度な回数連絡すればいい。子供は自分自身で親のありがたみに気づく。そして、自分から親に優しくしよう、大切にしようと思うようになる。僕や妹がそうであったように。きっとこれが大人になるということなんだろう。

 

明日は最終日。最後までいい思い出をつくってほしいと心のそこから思った。