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5日目 親と子供

 

自分が年をとるにつれて「死」について考えることが多くなった。自分が死んだらどうなるんだろう。もしも、彼女や家族が死んだら自分はどうなるんだろう。ただ、壊れゆく世界の行く末を見ずに済むからそれはいいことかなどと「死」についてあれこれ思考をめぐらせる。

 

母もたまに「死」について考え、すごくブルーな気持ちになるらしい。そんなときは、イチローみたいな人間もいつかは死ぬんだと考えると気持ちが楽になるそうだ。

 

人はいつか死ぬ。ただ、いつ死ぬかわからない。今日元気でも次の日に事故に巻き込まれてぽっくり死ぬかもしれない。だから、「死」について考えたって時間の無駄だ。それについて考えてブルーな気持ちになるぐらいなら彼女や家族、友達と過ごす楽しい時間のことを考えたほうがいろいろな面で有効だ。

 

家族とブダペストで楽しい時間を過ごせる日もついに最終日を迎えた。無事にホテルをチェックアウトした家族はタクシーで僕の家にきた。彼女の家族の家だが、居候させてもらっている。僕の暮らしぶりを見せると両親は安心していた。

 

帰りの飛行機の時間までまだ時間がある。路面電車で市街地に向かい市場やマルギレット島という人工島を散策した。父は"I love Budapest"などハンガリーにまつわることが書かれたシャツを買いたかったようだが残念ながらお眼鏡にかなうものはなかったようだ。

 

飛行機の時間が近づいている。

 

家の近くまで路面電車で戻り、スーパーで最後のお土産を買い、家に戻った。ところが問題が起こった。父が市場で買ったサラミを日本に持ち込めるかわからないのだ。肉製品は検疫が必要で申請しないで持ち込み、ばれた場合は犯罪になってしまう。仮に申請しても検疫を通過するかはわからない。大使館に問い合わせるとサラミの持込はできないようで、父はなくなくサラミを手放した。

 

空港までタクシーで向かう。母と彼女が隣で会話している。両親と彼女がうまくやれるかという最初にあった不安はすでになくなっていた。

 

母は自身の英語力はまだまだで彼女が自分の英語のレベルに合わせてくれているから会話が成立するといっていた。確かに、そうなのかもしれないが、本人がそう思うほど母の英語力は低くない。むしろ、流暢じゃなくても外国人とコミュニケーションを取れるほどの英語力を身につけた母の努力には驚きと同時に尊敬の念を抱いた。

 

タクシーが空港についた。長いようで短かった5日間の日程を全て消化した両親はハンガリーを発つ。空港での別れはどんな別れの場面よりも悲しい。目頭があつい。きっと「さようなら」といったらないてしまうだろう。

 

すると、父が近づいてきて「よくやってくれたね」と言ってくれた。その瞬間、こみあげるものを抑えることができなくなった。父はThe日本男児のような厳格な父親でめったにほめてもらうことはなかった。そんな父から「よくやってくれた」といわれ、気持ちを抑えることができなかった。母親とも別れの言葉を交わし、彼女と空港を後にした。

 

両親は無事に飛行機に搭乗し、日本に帰国した。

 

あれから3週間が経った。両親との5日間がつい昨日のことのように感じる。2人と歩いた道や乗った電車に1人で歩いたり乗るのはなんか不思議な気分だった。

 

2年ぶりにあった僕を両親はどう思っただろう。彼らの目には少しはたくましく映っただろうか。それとも、まだまだ僕は2人にとっては子供だろうか。

 

両親はもう二度とこれないかもしれないといっていた。確かに、ハンガリーまでの飛行機代はやすくはないし、宿泊代や食費などもかかる。だから、僕がもっとお金を稼いで今度は僕がチケットを買って2人をハンガリーに招待しようと思った。そのときは妹や祖母も一緒に。

 

来年、免許の更新のために日本に帰る。きっと、日本を発つときにはまた泣くのだろう。男が泣くのはみっともないが、そのときだけは許して欲しい。それ以外に僕の親への最大限の気持ちの表し方が見つからないからだ。