ハンガリーから発信中

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ハンガリーにおけるコロナウイルスの状況

1、ハンガリーコロナウイルスは広まっていますか?

 

3月3日現在、ハンガリー国内でコロナウイルスの感染は確認されていません。

 

追記1)

 

3月4日にハンガリーで感染者が確認されました。

 

また、ハンガリーを旅行で訪れたアメリカ人が次の旅行先での検査で陽性反応がでるというケースも現れました。

 

追記2) 

www.news24.jp

日本でこのニュースが大きく報じられましたが、この15人の方たちは街を歩いていたら日本人だからいきなり検疫対象になったわけでなく、咳をしていたためホテルから自ら連絡したようです。

 

現在のところ、日本人は強制的な検疫対象にはなっていません。一方で、イラン人はなっています。

 

追記3) 3月12日現在、ハンガリーの感染者は16人(イラン人9、ハンガリー人6、イギリス人1)で、感染が確認されたイラン人たちは最初に感染が確認されたイラン人の留学生との接触が確認されています。そのため、イラン人は強制検疫の対象となり、拒否した場合はビザの停止などの措置がとられます。また、全ての大学が当面の間休校となり、授業はオンラインで行われるとのことです。

 

また、ハンガリー政府は緊急事態宣言をし、中国、韓国、イラン、イタリアとハンガリー間のフライトを停止し、オーストリアスロベニアとの国境間で検問を再開しました。

 

追記4) 3月20日現在、ハンガリー国内の感染者は85人(イラン人10、英国人1、カザフスタン人1、ハンガリー人73)です。

多くの会社で在宅勤務が取り入れられ、食糧品店や薬局等を除くお店やレストランは原則、午後15時から翌朝6時まで営業していません。また、いくつかのスーパーでは購入制限が設けられています。オンラインショッピングは一週間待ちなどになっています。

加えて、ハンガリー国籍所有者(配偶者も含む)以外の入国を禁止しています。

 

2、マスクの購入は可能ですか?

 

もともとハンガリー人はマスクをするという習慣がないため、ドラッグストアーではほとんど売っていません。薬局ではマスクを取り扱っているようですが、すでに売り切れてしまったようです。インターネットでも買えません。また、除菌用のジェルやシートも売り切れています。 

 

3、物品の買占めは起こっていますか?

 

イタリア北部での食品買占めの映像を受け、一部スーパーでは米やパスタ、缶詰等の買占めが起こっていますが僕が直接行ったスーパーではどこも買占めは起こっていませんでした。トイレットペーパー等の買占めもありません。

 

4、アジア人差別は起こっていますか?

 

全く起こっていません。フランスで起こっているような暴力的な差別はもちろんのこと、アジア系のレストランに落書きをするといった嫌がらせも発生していません。中華レストランの客足が減ったくらいです。ホテルでのアジア人客おことわりのニュースも今のところ聞いたことがありません。

 

ただ、SNSをみていると観光地では「コロナ」などと言ってくる人もいるようです。

 

 

 

5、入国状況はどうなっていますか?

 

日本からの入国は可能です。ただし、日本からの直行便はないためどこかを経由することになります。

 

入国状況に関しては日々変わるため外務省か在ハンガリー日本大使館に問い合わせることをおすすめします。

 

追記1) 3月20日現在、ハンガリー国籍所有者(配偶者も含む)以外の入国を禁止しています。

 

 

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5日目 親と子供

 

自分が年をとるにつれて「死」について考えることが多くなった。自分が死んだらどうなるんだろう。もしも、彼女や家族が死んだら自分はどうなるんだろう。ただ、壊れゆく世界の行く末を見ずに済むからそれはいいことかなどと「死」についてあれこれ思考をめぐらせる。

 

母もたまに「死」について考え、すごくブルーな気持ちになるらしい。そんなときは、イチローみたいな人間もいつかは死ぬんだと考えると気持ちが楽になるそうだ。

 

人はいつか死ぬ。ただ、いつ死ぬかわからない。今日元気でも次の日に事故に巻き込まれてぽっくり死ぬかもしれない。だから、「死」について考えたって時間の無駄だ。それについて考えてブルーな気持ちになるぐらいなら彼女や家族、友達と過ごす楽しい時間のことを考えたほうがいろいろな面で有効だ。

 

家族とブダペストで楽しい時間を過ごせる日もついに最終日を迎えた。無事にホテルをチェックアウトした家族はタクシーで僕の家にきた。彼女の家族の家だが、居候させてもらっている。僕の暮らしぶりを見せると両親は安心していた。

 

帰りの飛行機の時間までまだ時間がある。路面電車で市街地に向かい市場やマルギレット島という人工島を散策した。父は"I love Budapest"などハンガリーにまつわることが書かれたシャツを買いたかったようだが残念ながらお眼鏡にかなうものはなかったようだ。

 

飛行機の時間が近づいている。

 

家の近くまで路面電車で戻り、スーパーで最後のお土産を買い、家に戻った。ところが問題が起こった。父が市場で買ったサラミを日本に持ち込めるかわからないのだ。肉製品は検疫が必要で申請しないで持ち込み、ばれた場合は犯罪になってしまう。仮に申請しても検疫を通過するかはわからない。大使館に問い合わせるとサラミの持込はできないようで、父はなくなくサラミを手放した。

 

空港までタクシーで向かう。母と彼女が隣で会話している。両親と彼女がうまくやれるかという最初にあった不安はすでになくなっていた。

 

母は自身の英語力はまだまだで彼女が自分の英語のレベルに合わせてくれているから会話が成立するといっていた。確かに、そうなのかもしれないが、本人がそう思うほど母の英語力は低くない。むしろ、流暢じゃなくても外国人とコミュニケーションを取れるほどの英語力を身につけた母の努力には驚きと同時に尊敬の念を抱いた。

 

タクシーが空港についた。長いようで短かった5日間の日程を全て消化した両親はハンガリーを発つ。空港での別れはどんな別れの場面よりも悲しい。目頭があつい。きっと「さようなら」といったらないてしまうだろう。

 

すると、父が近づいてきて「よくやってくれたね」と言ってくれた。その瞬間、こみあげるものを抑えることができなくなった。父はThe日本男児のような厳格な父親でめったにほめてもらうことはなかった。そんな父から「よくやってくれた」といわれ、気持ちを抑えることができなかった。母親とも別れの言葉を交わし、彼女と空港を後にした。

 

両親は無事に飛行機に搭乗し、日本に帰国した。

 

あれから3週間が経った。両親との5日間がつい昨日のことのように感じる。2人と歩いた道や乗った電車に1人で歩いたり乗るのはなんか不思議な気分だった。

 

2年ぶりにあった僕を両親はどう思っただろう。彼らの目には少しはたくましく映っただろうか。それとも、まだまだ僕は2人にとっては子供だろうか。

 

両親はもう二度とこれないかもしれないといっていた。確かに、ハンガリーまでの飛行機代はやすくはないし、宿泊代や食費などもかかる。だから、僕がもっとお金を稼いで今度は僕がチケットを買って2人をハンガリーに招待しようと思った。そのときは妹やおばあちゃんも一緒に。

 

来年、免許の更新のために日本に帰る。きっと、日本を発つときにはまた泣くのだろう。男が泣くのはみっともないが、そのときだけは許して欲しい。それ以外に僕の親への最大限の気持ちの表し方が見つからないからだ。

 

4日目 大人とこども

 

父のスマホ写真のスキルは少し上達していた。4日目の朝も日課となっているホテル近くのレトロな駅に行き、駅や電車の写真を撮ったようで見せてくれたが、写真の質は最初よりもあがっていた。

 

この日はブダペストの隣にあるグドゥルーという街に行くことにした。ここにはバイエルン王国出身でありながら政略結婚のためオーストリア=ハンガリー帝国ハプスブルク家のヨーゼフ1世のもとに嫁いだものの、オーストリアでの宮廷生活になじめず旅行先で訪れたハンガリーを気に入り、晩年をハンガリーで過ごしたためハンガリー国民に絶大な人気があるシシーことエリザベートが過ごした宮殿がある。宮殿といってもウィーンの宮殿とは違って非常に質素なものだ。

 

雨の中、電車でグドゥルーに向かう。ハンガリーの電車に乗ってみたかった父は車窓から景色を楽しんでいた。1時間ほどで隣町につき、徒歩30秒の宮殿に到着した。シェーンブル宮殿とはまた違ったよさのあるグドゥルー宮殿を2人とも楽しんでいた。

 

宮殿内のお土産やさんに行く。テストのため一緒にこれなかった彼女へのお土産と両親にシシーが描かれたしおりのプレゼントを買い、店を出ようとすると入口に設置されている万引き防止用のゲートのアラームが作動した。日本は万人はいい人なので万引きなどする人はいないという性善説に基づいた社会のため店に万引き防止用にゲートなどない。一方でヨーロッパは万人は悪人であるという性悪説を基本とする社会なので入口にはゲートがあり、万引きをすると商品についたタグが反応しアラームが作動する。会計時にこのタグを店員が取るのだが、財布などの場合はタグが内蔵されていて取れないので専用の機械でタグを無効にする。ところが、タグを無効にしてもしばらくすると有効になってしまうようで、アラームが作動してしまう。しかも、その財布を売っている店以外でもアラームが作動するので、スーパーでもゲームショップでも財布とは全く関係のない店でアラームが作動する。そして、その都度バックを開け盗っていないことを証明し、財布をゲートにくぐらせ財布が原因であることを示す。毎回この「私は万引き犯ではない」くだりをやらなければならない。最初はアラームがなると逮捕されるのではないかと戦々恐々としていたがいまや慣れたもんである。

 

宮殿をあとにし、ブダペストに再度電車で戻り、オペラ座を見学することにした。外からオペラ座を見たことはあったが、中を見学したことはなかった。オペラ座見学にも英語のガイドがいて、説明してくれる。英語を上達したい母は熱心に説明に耳を傾けていたがガイドの英語が速かったり、単語がわからなかったりでわからないところがあったようでもっとリスニング力をあげないとと改めて誓っていた。

 

テストが終わった彼女が合流し、夕食を食べに僕の一番お気に入りのレストランに2人を案内した。いつもは観光客でごった返していてなかなか席を取れないのにこの日は運よく席をとることができた。ハンガリー名物パプリカの粉を使ったスープグヤーシュやビーフシチューなどを注文した。2人とも大満足していた。自分が好きなものを相手も気に入ってくれたときはいつだってうれしい。自分の味覚が認められた気分になる。

 

いよいよ明日は最終日だ。明日の夜にはもう2人はブダペストにいない。4日間朝から晩まで毎日一緒にいたからだろう、2人と会うのは当たり前のことになっていた。だからこそ、2人と次の日の夜にはもう会えなくなることを考えると急に寂しくなりふたりと別れたあとの路面電車の中で少しだけ泣いた。きっと、空港で見送るときは号泣だろうなと思った。いつだって空港での別れは苦手だ。そういえば、3年前に親元をはなれ初めてハンガリーに来た日の夜、ベッドの上で急に寂しくなり号泣したことを思い出した。

 

ヨーロッパでは家族と毎日メールしたり電話するのは普通だ。なので、僕が1月に1回しか電話しないというと家族と仲悪いの?とよく聞かれる。フランスに1年留学していたときは全く連絡せず、帰国前日に母に次の日に帰ることを伝えようと電話をしたら声を忘れられていて「どちら様ですか?」といわれた話をすると変だとよく言われる。

 

もちろん家族と仲が悪いわけではない。日本とヨーロッパでは家族との距離が違うのだ。自分が親になり、子供が親元を離れたときに自分は子供とどんな距離で接すればいいのだろう。心配だからと毎日連絡したらきっと子供から鬱陶しがられるだろう。だから、適度な距離で適度な回数連絡すればいい。子供は自分自身で親のありがたみに気づく。そして、自分から親に優しくしよう、大切にしようと思うようになる。僕や妹がそうであったように。きっとこれが大人になるということなんだろう。

 

明日は最終日。最後までいい思い出をつくってほしいと心のそこから思った。

3日目 ウィーンと待ちぼうけ

 

父が朝食のバイキングを食べ過ぎたようでトイレからなかなか出てこなかった。ウィーン行きのバスの出発時間が迫る。焦りながら彼女と母と3人で待っているとようやく父が来た。

 

バスに乗り、ウィーン行きのバスが出るステーションまで向かう。その道中、母が朝食バイキングでほかの観光客と話したが「ウィーンに行く」と英語で伝えても全く理解してもらえなかったというストーリーを話した。無理もない。日本語では「ウィーン」だが、英語では"Vienna"という。そう伝えると母はドナウ川をドナウリバーとは言わないと伝えたとき以上にびっくりしていた。

 

ブダペストからウィーンまでは3時間の道のりだ。車内では父は爆睡し、彼女は翌日のテストに向けて勉強をしていた。僕と母は妹のことやおばあちゃんのことなどを話した。両親はこの旅行に妹も誘い、チケット代も出してあげるといったようなのだが、両親にお金のことで迷惑をかけたくない妹は断ったようなのだ。おばあちゃんはもういい年なので長時間フライトには耐えられない。おばあちゃんにももう2年会っていない。バスの中から電話をかけることにした。

 

「もしもし?」久しぶりに聞くおばあちゃんの声だ。元気そうだ。元気であることと来年日本に行くからそのときに遊びに行くことを伝えて電話を切った。

 

バスは時間通りにウィーンに着いた。バスを降りて、タクシーでシェーンブル宮殿に向かう。父が宮殿を見るなり「ディズニーランドのホテルに似ている」といった。親子というのは感受性が似るのだろう。僕の初めてシェーンブル宮殿を見たときに全く同じことを言った。

 

チケットを買い、時間まで昼食をとることにした。オーストリア料理はいろいろなタイプがあるが「シュニッツェル」というとんかつがある。僕はこれを「わらじかつ」と呼ぶと父は興味を示したようでわらじかつを食べようかと言っていた。ところがいざメニューを開くといろいろな料理に目移りし、ひとつに決められず結局直前になってあわてて選んだのはパイ生地に野菜などが入ったビーガン料理だった。父のフォークはあまり進まない。きっとおいしくないのだろう。僕が頼んだわらじかつを半分渡すとよほどわらじかつがおいしかったのかあるいはパイ料理がまずかったのかパクパクと食べ進めすぐにたいらげた。

 

庭園を散策し、宮殿内の見学の時間になったので入口に向かう。豪華なつくりの宮殿に両親は圧倒されていた。

 

2時間ほどかかり見学を終えるとすでに時計は3時を指していた。市街地にむかい散策することにした。ウィーンにも王宮はあるので手始めに王宮に向かう。道中、足を休めるためにカフェに入った。ところが待てど暮らせど店員さんが来ない。こちらから合図をしても全く気づかない。いや、もしかしたら気づいているのかもしれないが他の客への対応で手一杯なのかもしれない。20分待っても注文を取りに来ないのでカフェを後にし、王宮に向かった。ヨーロッパには日本の飲食店のように店員さんを呼ぶためのボタンがない。あるとどんなに便利なんだろうかと毎回思う。

 

王宮で写真を撮り、お土産やさんが軒を連ねる通りを散策する。ブダペスト行きのバスの時間が迫っていた。バスステーションまで歩いていくことにした。約1時間の道のりだ。僕にとってはなんてことないのだが、齢56の両親、特におしゃれなデッキシューズを履いていた父にとっては長い道のりだ。道中、父は何度も「ウィーンの路面電車に乗ってみたい」と連呼していた。そこで一度路面電車でバスステーションの近くまで行くことにした。ところが、待てど暮らせど路面電車は来ない。バスの出発の時間は刻々と迫っていた。このままではバスに乗れない。やむを得ず歩くことにした。

 

バスが出発する5分前になんとかステーションについた。みんなくたくたになっていた。店員さんがすぐ来ない、電車が時間通りに来ないというある意味ヨーロッパの洗礼を受けた両親だったがウィーンでの時間を満喫したようである。

 

バスの中では4人とも爆睡し無事にブダペストに着いた。明日は4日目。両親がここに滞在するのもあと2日だ。両親が来るまでは両親と会う実感がわかなかったが、今度は両親がハンガリーを発つ実感がわかなかった。きっと最終日まで実感などわかないのだろう。両親と別れ、彼女と家に帰った。

2日目 父とハンガリー

 

両親に会うのは実に2年ぶりだ。2年前は僕が免許の更新のために日本に帰り再会した。あれから2年。昨日、空港で久しぶりに見る両親の顔は変わっていなかった。ただ、少し照れくさかった。

 

彼女と待ち合わせ場所のホテルのロビーに時間通りに到着する。2人ともぐっすり眠れたようだ。今日はまず国会議事堂の中を見学する。ブダペストの観光スポットで最も人気のあるスポットだ。残念ながら日本語のガイドはなかったので英語のガイドを予約した。ただ、母は英語を鍛えることができるのでうれしそうだった。

 

2人ともよく眠れたが時差ぼけのためなのか早く寝たためなのか朝4時ごろに目が覚めたようで時間をつぶすためにホテルの周辺を2人で散策したらしい。近くには昔ながらの大きな駅がある。日本のCM撮影にもたまに使われる。中に入ると大きな掲示板があり電車の発着時間を知らせてくれる。時間がわかると"パタパタ"と音を立てて、時間が表示される。この掲示板は電子掲示板ではない。父はこの昔ながらの駅と電車がひどく気に入ったらしくたくさんの写真を撮っていた。そして、滞在中毎日この駅に行っては写真を撮っていた。

 

ただ、スマホの操作になれていない父が撮った写真はぶれていたり、指がはいっていたり、焦点があっていないものがほとんどだった。これはこれできっといい思い出になるのだろう。写真だけが思い出を残すための手段ではない。実際に自分の目に焼き付けたものは写真以上の思い出になる。

 

国会議事堂に早く着きすぎたので、近くにあるバシリカを見学した。それとスーパーにも寄った。両親はハンガリーのスーパーがかなり興味深かったようでいろいろな商品を見ていた。また、パン職人の父はスーパーで売られているパンに釘付けになっていた。ハンガリーのパンの中で"キーフリ"という三日月形のパンがある。もちもちしておいしい。値段も5円程度である。このパンを2人に勧めると2人とも気に入ったようで「おいしい」と言っていた。

 

国会議事堂の見学も無事に終わった。母は英語ガイドの英語が速くてあまりわからなかったようでリスニング力を鍛えなきゃダメだと痛感したらしい。母に「ドナウ川は英語ではドナウリバーとは言わない。英語ではDanubeという」と伝えると驚いていた。ちなみに、「ハンガリー」は英語では"Hungary"だがハンガリー語ではハンガリーとは言わないことにも驚いていた。

 

ディナークルーズまで時間があるのでお土産やさんが並ぶ通りを歩くことにした。道中、父が「温泉に行きたい」といった。ハンガリーはヨーロッパ1の温泉大国だ。ブダペストには多くの温泉がある。ただ、日本の温泉とは違う。日本では男女別で裸で入り、ゆったりとした時間を過ごし心も身体もリフレッシュする。一方、ハンガリーの温泉は男女が水着を着て入り、みんなでわいわいして楽しむ。日本のナイトプールのようなイメージだ。なので、父がイメージしている温泉とは天と地のさであることを伝えたが父は言ってみたいと言い続けていた。そこで一番有名な温泉に行くことにした。ロビーには多くの若者がいてにぎわっている。明らかに日本の温泉とは違う。水着着用が義務なのだが、水着を持っていない父はふんどしでもいいか係員に尋ねてくれないかと言ってきた。言われたとおり聞くと、鼻で笑われた。そんな客は門前払いである。

 

ディナークルーズの時間が迫ってきたので温泉をあとにし、船が出発する場所に向かう。雨が降り始め、強くなってきた。時間通りにつき、船に乗る。席は舞踊ショーが行われるステージのまん前だった。ショーはまだ始まっていなかったが、おじさんが木琴を弾いていた。続いてバイオリンを持ったおじさんが来た。彼は僕らを見るなり「日本人ですか?」と尋ねてきた。父はなんでわかるのか自身の胸に日本の国旗のピンバッジが光っているのを忘れ、不思議がっていた。

 

船が出港し、料理が運ばれてくる。おいしい料理に舌鼓を打っているとハンガリーの民族衣装をまとった女性がマイクを持って登場し、ハンガリーの民謡を歌い始めた。コンサートが好きな父は特に喜んでいた。

 

突然父が笑い始めた。隣の席にいた人の顔が志村けんに似ていると言い出した。相手にばれないように斜め前にいる志村を見ると確かに似ていた。親子3人で志村けんに似ている人を見て笑う。その光景を彼女は理解していなかった。志村けんの写真を見せ、斜め前の人物が似ていることを伝えると苦笑いしていた。ハンガリー人にはわかりづらい冗談のようだ。

 

料理もショーも終わり船は出港した場所を目指しゆっくりと進んでいた。クルーズももう終盤だ。船のデッキに出て写真を撮り、スタッフに渡されたアンケートに答える。僕も父も満点だったが母と彼女は料理をのせたお皿がところどころ割れているのに気づき、「お皿を変えるべきだ」とコメントを書いていて、減点していた。女性陣は厳しい。

 

船が波止場に着いた。今日の予定は全部終了した。明日はウィーンに行く。両親の海外旅行も明日で折り返しの3日目だ。ウィーン行きのバスは朝早く出るので早めに集合することを伝え2人と別れた。

1日目 両親と飛行機

 

僕と彼女は空港で両親を待っていた。

 

羽田空港の飛行機の出発情報を見ていると、飛行機は無事に飛び立ったものの搭乗開始時間は30分早まったらしい。両親はそのことに気づいて早めに空港について無事に飛行機に乗れたのだろうか。

 

両親は今回ターキッシュエアラインを使ってハンガリーに来る。日本からハンガリーへの直行便はないのでイスタンブールで乗り換えるのだが、乗り換え時間は2時間もない。降りたら保安検査場も通過しないといけないだろう。そして、イスタンブール空港は広いだろうから無事にイスタンブールからハンガリー行きの飛行機が出る搭乗口につけるだろうか。いろいろなことが心配になった。

 

空港の飛行機の情報版を見る。両親を乗せた飛行機は無事にハンガリーに到着した。出口から次々にお客さんが出てくる。2人はまだだ。今かいまかと両親を待つ。すると、出口のドアが開き見慣れた顔が出てきた。自然と笑みがこぼれた。2人のもとに駆け寄り、彼女を両親に紹介し、宿泊先のホテルに向かうためのバスに乗るためバス乗り場へと向かった。

 

チケットを渡しバスに乗る。すると、母が彼女に"May I have your name?" (名前を聞いてもいいですか?)と英語で聞いていた。母は僕が小さいときから町の公民館で開かれる英会話教室に通っていたり、自分でも英語の勉強をしているのを僕は知っていた。夏に仕事を辞めて、本格的に英語の勉強をし始めたこともしっていた。だから、母が英語を話せることに驚きはなかったが、"What is your name?"ではなく、"May I have your name?"と初級レベルではない英語を使ったことにびっくりした。母の英語力は僕の予想以上に高かった。

 

ホテルに向かうバスの中で2人があやうく羽田からイスタンブール行きの飛行機を乗り損なうとこだったと聞いた。自宅から空港まで車で行くのだが空港の駐車場は高いため空港の近くで安い駐車場にとめることにしたらしい。飛行機が夜遅い便のため駐車場につくのも夜遅くになってしまい通常は駐車場はすでに閉まってしまっている。ただ、電話で到着する時間を伝えたら駐車場を開けてくれるようだ。父はすでに見つけた駐車場にあらかじめ到着時間を伝えていたのだが、前日になりもっと安いところを見つけたようでそっちに駐車しようとした。ところが、到着時間を知らせる電話をしなかったため駐車場は閉まっていて駐車できなかったらしい。幸い、近くに開いている駐車場があったためそこに車をとめて飛行場にむかった。なんとか空港には着いたものの搭乗時間が30分早まったのをそのときに知り、かなりあわてたという。ただ、結果的には無事に搭乗でき、ハンガリーに到着できた。結果オーライだ。

 

車中で母がイスタンブール空港で円をユーロに両替したといいレシートを見せた。しかし、その数字がどうもおかしい。5000円渡したのに対して500ユーロをもらったという。500ユーロは日本円で約6万円だ。5000円渡して6万円相当のユーロをもらったことになる。そんなバカな話はない。母にもらったユーロを見せてもらうと、いくつかは確かにユーロの紙幣であったがその間にトルコリラが入っていた。両替所でおそらく相手にはわからないだろうとユーロとトルコリラをミックスされて渡されたのだろう。なんともふざけた両替所だ。

 

バスを降りて、地下鉄に乗る。ハンガリーには自動改札機はないので2人は買ったばかりの1週間用の定期券を駅員に見せる。2人にとっては新鮮な出来事だろう。

 

地下鉄を降りるとホテルはすぐそこだった。チェックイン時間になっておらず部屋の準備ができていなかったようなので時間まで近くのコーヒーショップに行った。母親はミルクが少なめのコーヒーが好みのようだが、ハンガリーにはそういうコーヒーはないようで頼んだコーヒーにはミルクが大量に入っていた。コーヒーを飲まない僕には味の違いがわからない。父は眠そうにしている。そりゃそうだ。日本を夜に経ち、ブダペストについたのは朝の8時。時差ぼけもあるだろう。

 

チェックインの時間は昼の12時でまだ時間があったのでフロントに荷物を預け、鎖橋や王宮を見学することにした。近くまでバスや電車でもいけるが、せっかくだから街並みも生で楽しんでもらうために歩くことにした。王宮は今じぶんたちがいるところからドナウ川をはさんで反対側にある。

 

徒歩で約1時間の道のりだ。たった今10時間以上の長距離フライトを終えた人に対するプランではない。でも、2人は楽しんでくれた。フと父が「ドナウ川を船でクルーズしたい」と言い出した。ドナウ川には観光客用のクルーズ船はいくつもある。船が出ている場所に行き、チラシをもらった。ランチクルーズやディナークルーズなど様々なタイプがある。ホテルでも予約できるようなのでチェックイン時に予約することにした。

 

鎖橋を渡り、王宮へ向かう。その前に腹ごしらえだ。時間は12時を過ぎていた。近くのレストランへ行き昼食を取ることにした。両親にとってはハンガリー料理は初めてだ。油ものが苦手な母にはマッシュルームを使ったシチューを注文し、父はハムとチーズが入ったフライを頼んだ。料理がテーブルに運ばれ、初めてのハンガリー料理を2人は口に運んだ。母のシチューはおいしかったようだ。父のフライもおいしかったようだが、想像していたのとは少し違ったようだ。そこで僕が注文したハンガリーの名物料理のビーフシチューをあげるとこっちのほうがおいしかったようですぐにたいらげていた。

 

バスで山をのぼり王宮に到着した。観光客でごった返している。父は食事もとりもう眠そうだ。ハンガリーはまだ昼の2時ごろだが日本は夜の9時をまわっている。父は「もう寝る時間だ」と冗談交じりに言っていた。王宮は山の上にあり、ブダペストの街を一望できる。幸い、天気もよかったのでブダペストのきれいな町並みを見ることができた。

 

時刻は4時をまわりまだまだアクティビティーをする時間はあったがさすがに2人の体力が限界をむかえたので、ホテルに戻ることにした。フロントでチェックインをし、ついでにディナークルーズの予約をする。クルーズにはハンガリーの民族舞踊ショーもついているらしい。彼女の分も予約してくれた。彼女はハンガリー人だが、ドナウ川クルーズは一度も体験したことがないらしく喜んでいた。

 

明日は朝、国会議事堂に行き、夜はディナークルーズだ。集合時間と場所を確認し、2人が持ってきてくれたお土産をもらい僕と彼女は家に帰った。

 

0日目 両親がハンガリーにやってくる

9月のある日、妹経由で母から「近いうちにハンガリーに遊びに行ってもいい?」という連絡がきた。「いいよ!」と返す。すると、今度は父から旅行日程が書かれたメールが送られてきた。両親は11月の頭にくるようだ。

 

同棲している彼女に両親が来ることを伝えると興奮しながらも緊張していた。プレゼントになにを渡せばいいかとか、なんて挨拶すればいいかとか、何を着ればいいかとかまだ会うのは2ヶ月も先なのに心配していた。

 

僕も僕でいろいろ心配した。両親はヨーロッパへの旅行はかなり久しぶりなので、乗り継ぎ先の空港で迷わないか、言葉は通じるか、麻薬の売人にスーツケースを渡され安易に受け取らないかなど子供ながらに心配した。

 

両親も両親でハンガリーの冬は寒いか、いくら両替したらいいかなど心配していた。ただ、それ以上にケータイのことで心配していた。両親はケータイをあまり使わない。ケータイ自体持ち始めたのは僕が大学生になったときからで、スマホではなくガラケーをずっと使っている。

 

しかし、日本では近々ガラケーがサポートされなくなるようでこれを機に両親はスマホに変えるのだという。ただ、ケータイ音痴の両親はケータイショップで使い方の説明を聞いてもほとんどわからなかったようでそれを心配していた。

 

ケータイのプランには海外でも使える海外プランなどがあるがそういったことはなにもわからないようなので、とりあえず、飛行機に乗ったらケータイを機内モードにすることとブダペストの空港には出口はひとつしかないのでそこで待ってるから確実に会えること、そして宿泊先のホテルではインターネットに繋げるので2日目以降の待ち合わせの連絡は問題なくできることを伝えた。

 

両親は5日間ハンガリーに滞在する。母からのリクエストでブダペストにある世界一綺麗なマクドナルドと別のヨーロッパの国にも行きたいと言われた。そこでブダペストからバスで簡単にいけるウィーンに日帰りで行くことにした。ウィーン旅行を3日目にして、残り4日のプランを練る。国会議事堂や鎖橋、英雄広場など定番スポットを盛り込んだ。しかし、それでも2日もあればブダペストのスポットは回りきれてしまう。そこで1日はブダペストの隣町に行くことにし、もう1日は僕の住んでるとこに来て暮らしぶりを見てもらうことにした。

 

会社から5日分の有給休暇も無事にもらえた。

 

準備万端だ。あとは両親が来るのを待つだけ。緊張はしていなかったし、親がハンガリーに来るという実感もなかった。ただ時間がいつものように過ぎていった。無事に会えるかとか麻薬を渡されていないかといった心配事は相変わらずあったが、彼女と両親の対面の日が近づくにつれて3人がうまくやれるか不安になった。彼女は日本語を話せない。母は少し英語を話せるが父はさっぱりだ。もし、沈黙が続いたらどうしよう。両親の前で僕と彼女が喧嘩したらどうしよう。悩みのタネはいたるところに落ちていた。

 

そんなことは関係なく時間は流れていき、ついに両親がハンガリーに来る日を迎えた。

欧州バックパックの旅⑳ 雨の中、ボルドーに到着

 

トゥールを後にしスペインを目指しさらに南へ。

フランスとスペインの国境の1つ、サン・セバスティアンが近づいてきた。

サン・セバスティアンに向かう前の最後のフランスの街、ボルドーに到着した。


しかしボルドーつくと、外はまさかの大雨。
傘は持っていたが、傘が意味をなさないほどのどしゃぶりだった。

それでもせっかくボルドーに到着したのだからと街を散策してみることに。




ボルドー駅。




通りには人っ子一人歩いておらず。











晴れていればゆっくり見たかったきれいな建物が多くあったボルドーだったが、40分ほど散策したところで服がびちゃびちゃになり、寒くなってきたのでホテルに戻ることに。


そのまま眠りの世界に誘われていった。

 

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japangary.hatenablog.com

ハンガリーの会社に対する愚痴をこぼします

 

僕は海外就職相談所というものをはじめ、今まで海外で働くことに興味ある人の相談に乗ってきたわけだが、海外就職を積極的に推奨しているわけではない。

 

もちろん、海外で働くことに興味ある人がいれば相談に乗るが、そうではない人に「海外で働きなよ!」などということは一切ない。

 

よく、日本にはブラック企業が多いとか日本の働き方は時代遅れだなどという人が多い。日本での就業経験はバイトしかなく、全てのバイト先が非常にいいところだったのでそういう実感はないのだが、おそらく正社員になると見えてくるものも違うのだろう。

 

ただ、全ての企業がブラックだとも思わない。日本には数多くの企業があり、そのうちの数社、とりわけ大企業がブラックだとそれをメディアなどが大きく取り上げ騒ぐので日本の全企業=ブラックというイメージができてしまうのだと思う。

 

それから、「海外では有休を簡単に習得できて、体調が悪いときは問題なく休めて、残業もないから日本よりも海外で働くべきだ」という人がいる。確かに、僕が今働いている会社では基本的に好きなときに有休を取得でき、体調が悪いときは会社を休め、しかも日給の70%までもらえる。また、残業もほとんどない。もし会社の都合で残業した場合は残業した時間分、翌日は働かなくていい。

 

こう聞くとハンガリーはなんて働きやすい国なんだろうと思うだろう。確かに、この制度は非常に魅力的だ。ただ、ハンガリーにある全ての企業がそういうわけではない。中には残業が多く、「会社の都合で残業した場合は残業した時間分、翌日は働かなくていい」という制度があるにもかかわらず守られていないというところもある。結局、日本だろうが海外だろうが社員のことをしっかり考えてくれる会社もあればそうでない会社もある。

 

そういうと、僕が働いているところはとてもいい会社だと思うかもしれないが、もちろん好きではない部分もある。

 

僕の仕事はわかりやすく言うとコールセンターなので、いかに多くの電話を取れるかが重要になる。例えば、15件電話がかかってきたら、15件対応しなければならない。もし、半分しか対応できなければそれは非常にまずい。マネージャーは毎日「全ての電話に対応しろ」と口をすっぱくして言ってくる。

 

ただ、働いている側からすればそれはあくまでも全て対応できる環境をマネージャーが整えてからはじめていえることだ。

 

どういうことかというと、僕の会社は人材が不足している。

 

所属しているフランス語チームで言えば、正社員は僕を含め2人で、バイトが1人。しかも、もう1人の正社員の子は来月で辞める。つまり、来月からは2人になる。それに対して、フランス語対応のカスタマーの数は変わらない。なので、今まで3人で対応していたものを2人で対応しなければいけないということだ。それには無理がある。

 

にもかかわらず、上は「全ての電話に対応しろ」と言ってくる。現場をわかっていない。

 

さすがに、社員からクレームが殺到したのか、マネージャーがある対応策を発表した。あまり電話がこない言語を担当している社員が別の言語のカスタマーを英語で対応するというものだ。

 

例えば、フランス語対応を選択したカスタマーがフランス語対応デスクに電話したものの、フランス語対応オペレーターが全員別のカスタマーに対応している場合、彼らが英語で対応する。

 

これにより、人材不足の問題はわずかに解消されたが、カスタマー側からすれば恐ろしいだろう。例えば、僕が日本語対応を希望し電話したら「英語で対応します」といわれるのと同じことだ。

 

そもそも、なぜ人材が不足しているのだろう。

 

ハンガリーは通貨にフォリントというユーロの2分の1の価値しかないものを採用している。要するに、人件費が安い。なので、企業がヨーロッパに在住の人向けのカスタマーサポート部門を作る場合はハンガリーで作ったほうが安上がりだ。よって、ハンガリーには多くのカスタマーサポートの仕事が存在する。

 

そうなると、働く側としては給料が高いほうを選ぶ。残念ながら、僕の会社の給料は他と比べるとかなり低かった。今年の頭に給料をあげたが、時すでに遅しで多くの人材が給料の高い企業に転職していった。

 

ハンガリーで例えばフランス語話者を見つけるとすると大変だ。まずフランス人でフランスよりも給料の低いハンガリーで働いているひとなんて見つけることはほぼ不可能だ。ベルギー人も同様。そうなると、フランスの旧植民地だったアフリカの国の人たちを雇うことになる。なので、僕の同僚にはアルジェリア人やチュニジア人が多い。

 

 

とまあ、僕の会社の事情はこんな感じだ。

 

全ての企業にいいところと悪いところがあるので、自分に最適な会社を見つけることが重要だ。

 

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クロアチア旅行とクロアチア語


夏のバカンスでクロアチアに行った。初めてのクロアチアだった。

ハンガリーの首都ブダペストからクロアチアの首都ザグレブまでは直通のバスで約6時間ほどで行くことができる。

さて、僕は他の国に行く際には挨拶や要求の伝え方などいつもその国の言葉を前もっていくつか覚えておく。現地のひととスムーズにかつ友好的に関係を築くためである。

クロアチアの言語はクロアチア語。ロシア語と同様スラブ語派に分類されるようだが、ロシア語が東スラブ語群に属するのに対し、クロアチア語は南スラブ語派に属するようである。

似ている言語はセルビア語のようで、よくセルビア人はクロアチア語を、逆にクロアチア人はセルビア語を理解できるといわれているが果たして本当なのだろうか。

そんなクロアチア語の挨拶はなかなか長い。

Dobar dan (こんにちは)

ネットで発音を聞いてみる。
"ドバル ダン"という発音のようだ。

音声に続けて発音してみる。なかなかぎこちない。

Hvala

「ありがとう」はこういうらしい。
お!短い。

発音も"フヴァラ"と簡単そうだ。

「はい」は"Da"
「いいえ」は"Ne"
とそれぞれ言うようである。これも割かし簡単そうだ。

とりあえずこの4つの言葉を覚えておけば、お店やレストランで店員さんといい関係を築けるだろう。そう旅行前は思っていた。

ところが、クロアチアに着いて早速覚えたての"Hvala"を使うも通じなかった。

バスの運転手に言っても、店員さんに言っても反応が薄い、というかほぼない。

差別されてるわけでもない。どうやら僕の発音が悪いようだ。

宿泊先に着き、係りの人に聞き、実際に発音してもらう。

すると、僕が"フヴァラ"と"V"の音を強く発音しているのに対し、
彼女の発音は"ファラ"と"V"の音がほとんど聞こえなかった。

次の日、お店に行き、店員さんに覚えたての発音で"Hvala"と言ってみる。
すると、彼女はこちらを見て、にっこりとし"Hvala"といった。

僕のクロアチア語が通じたのだ。

その瞬間、僕はクロアチアに受け入れられた気がした。


ただ、「ありがとう」が通じただけなのだがそれがなにか大きなことを成し遂げような気持ちにさせてくれた。これが外国語を話すことの醍醐味の1つかもしれない。